法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

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今週の一言

 

憲法改正を考える

2005年1月24日
高橋哲哉さん(東京大学教授)

(聞き手)
今日は、現在の改憲についての議論を中心にお話を伺いたいと思います。まず、最近は様々な方面から憲法を改正しようという動きが出ていますが、このような現状についてはどう思われていますか?

(高橋さん)
確かにいま、改憲の動きが非常に活発です。国会議員でも改憲論が圧倒的多数を占めていますし、一般の人たちの間でも、調査によっては8割が憲法改正を望んでいるといいます。ただ、9条については、過半数の人がまだ改正の必要なしと考えているのが現状のようです。自民党では、憲法改正プロジェクトチームが6月15日に論点整理を出し、そのあと憲法改正草案のたたき台を出してきました。これは、参議院を軽視しているということ、安全保障について自衛隊制服組幹部の話を聞いているということで撤回されましたが、方向性としては、6月に論点整理を出してきたときから変わらず、きわめてはっきりしています。
憲法を改正するという場合、条項を個別的に改正するのか、それとも総体としての憲法について全面改正するのかという点は、決定的に重要な点です。条項の個別的改正というのは諸外国にも例がありますし、日本においてもありうる選択肢なのですが、自民党は全面改正をしたい。その際、国民投票をどうするかということも争点のひとつとしてあがってきます。
自民党案にある9条を中心とした安全保障に関しては、1項については、これを変えると露骨に戦争をするのかということになるから維持することにして、2項については変えたい。現に自衛隊がありますし、それが「国際貢献」その他の活動をしているのだから、「自衛軍」保持を明確にし、個別的および集団的自衛権を明確にするという内容です。これらは予想の範囲内でした。
ちなみに、日本国憲法の特徴として「平和主義」が必ず挙げられますが、1項の戦争放棄については、必ずしも日本国憲法独自のものではなくなってきています。韓国の憲法にも、侵略戦争放棄を謳っていますし、不戦条約など国際的にもその流れがあったわけです。だから、1項を残すのみでは、日本国憲法は特別に平和主義を掲げる憲法とはいえず、普通の憲法になってしまいます。もちろん、この改正に対して私は反対していまして、2項も維持すべきだと思います。

(聞き手)
 今回の改憲議論では、とくに憲法という歴史的にも培われてきた考え方そのものについても改めようという議論がみられます。この点については、どうでしょうか?

(高橋さん)
今回の改憲のポイントとして、憲法とは何かという憲法観そのものが変えられようとしている点は重要です。近代立憲主義以降の憲法は、人民が権力に対して権力をコントロールするものであり、自らが構成する国家権力への縛り、権力抑制原理であるということをその基本としてきました。しかし、その原理が根本的に変えられようとしています。
先日、ある弁護士会に招かれて討論した際、相手方だった櫻井よし子さんは、「現憲法には権利という言葉が16回、自由という言葉は9回登場するのに対し、義務という言葉は3回しか出てこない。これは非常にバランスの悪い憲法だ」とおっしゃっていました。これは、自民党の保守的な人たちが言ってきたことと全く同じ意見で、自民党も、国民の行為規範をもっと憲法に持たせるべきだと主張しています。しかし、憲法とはそもそも、人民が自分たちの権利を承認させるというのが一義的な目的なのだから、権利規定が多いのは当然です。自民党の改憲案には、人民が国家権力に守らせるものではなく、国家権力が国民に守らせる憲法にしたいという考えが明らかに見て取れますし、民主党や読売の改憲論にも多かれ少なかれそうした方向が見られます。
このことは、実は、教育基本法の改正とも深く関わっています。そこでは、教育行政に対して物申すことが禁止されるという、完全に国家と個人の関係を根本から覆す視点が盛られており、それが憲法と連動して行われようとしているのです。このように、憲法観の変質が、改憲論をめぐる最大の問題だと私は見ています。

(聞き手)
 憲法あるいは立憲主義という考え方が根本から変わるということについて、もう少し具体的に、どのような点で変えられるとみていらっしゃいますか?

(高橋さん)

内容的な点では、「国柄」にふさわしい憲法にするのだということが強調されています。現行憲法は、占領下の異常な状況下において作られたものであり、つまり「押しつけ憲法」であり、「人類普遍の原理」という文言が入るなど、日本の「国柄」にふさわしい憲法にはなっていない。そして、そこから現在の色々なひずみが生じている、というのです。「国柄」とは何かというと、ここには「わが国固有の価値」と書いている。「わが日本民族2000有余年の伝統」。これを、戦前に「国体」という言葉で表されたものと同じ意味を持つと思うと批判したところ、その後、自民党は私の批判を意識したのか、「国体」とは違うと弁明しています。しかしやはり、その内実は「天皇を中心とした日本民族」という発想であり、変わっていません。政教分離についても、「国柄」にふさわしい観点から見直すべきであるということが言われています。そして、婚姻・家族を規定した24条についても、「国柄」にふさわしく見直すべきという批判。いろんなところに、「国柄にふさわしく」という言葉が出てくる。私などは24条に手がかかるなどということは全く想定していませんでした。女性差別禁止条約を批准している国なのに、そこまでも変えようとしているのです。

(聞き手)
国家と個人の関係を180度変えてしまうという方向性、この流れについて、私などは「国家と個人の関係の再設定が図られている」という表現で原稿などには書いているのですが、こうした流れは、たとえば、教育現場などですでに条文改憲に先行して現場レベルでの改憲といいますか、そうしたものが進行しているという気がします。こうした流れのなかで、ある種、特定の価値観が公定化され優越化されるという印象をもっているのですが、「国柄」や「愛国心」といったような特定の価値観を憲法に組み込むということに対してはどう思われますか? とくに教育の観点からお伺いしたいのですが?

(高橋さん)
教育の問題については、この間、教育基本法の改悪をストップさせる運動に、個人的にかなりコミットしてきました。昨年の12月31日と、今年11月6日の日比谷での全国集会などに、呼びかけ人として関わってきましたし、教員組合の集会などにも関わってきました。なぜそれだけ教育基本法を重視するかというと、内容的に憲法の精神的な部分とかなりオーバーラップしているからなのです。教育基本法は、憲法の理念を具体化するという要素が非常に強い。憲法の前文に掲げられている理念、民主主義、平和主義、それらの「理想の実現」の手立てとして教育基本法が定められました(前文)。その目的は、国家のための個人を教育するのではなく、個人個人が尊厳を認められ、一人一人が幸福に自らの人生を送ることができるために、国を営む。その国の主権者を育成するのが教育の目的です。教育基本法自体にも、真理と平和を愛するなどいくつかの価値が込められています。
このような教育の基本法を法律として定めること自体が、自由な個人のあり方の足枷になるという議論もあり、それも理解できるのですが、民主主義と平和主義の学校として出発した戦後日本の学校は、一種の「闘う民主主義」という性質をもっているのだと思います。国が先にあるのではなく、個人が先にある。だから、個人の尊厳を否定するような、国権の発動としての戦争などが否定される。しかし、自民党のたたき台では、個人の尊厳という言葉を入れるなどの言い訳は残しているものの、個人の尊厳と相容れないような、国柄や愛国心という文言を入れようとしていることが明らかになりました。
教育基本法を変えるということは、憲法の理念を実現する手立てを変えるということです。そして、その第一の意義が、国家や共同体の価値を個人に優先させるというところにある。この動きは、憲法改正の動きとも連動していると思います。

(聞き手)
今回の改憲案で、高橋先生が、とくに哲学者として注目されている点はありますか?

(高橋さん)

哲学者としては、19条、思想良心の自由が決定的に重要です。この点は、先ほど述べました教育基本法とも連動しています。現在、すでに日本の様々なところで、憲法に保障された思想良心の自由、精神的価値が侵害されていますが、憲法が改正されれば、それら侵害を法的に正当化して総仕上げするという意味をもつことになると思います。つまり、オーソリティを持ってくるのです。下手をすると、扶桑社の教科書のようなものが正しい、愛国心をもっているのはあの教科書だけだという話になってくるかもしれません。

(聞き手)
ところで、現行憲法の制定とは、戦前の体制の否定と戦前の価値原理からの転換――それは、日本が軍国主義に走ったことへの反省でもあり、対外的にもそうした反省を表明したものと受けとめられる余地のあるものでした。そうした歴史的な文脈というか、反省としての原点さえも無視した議論が、いまとても多いように感じています。高橋先生は、日本国憲法、とくに平和主義について、アジアとの関係でどういう風に考えていらっしゃいますか?

(高橋さん)
日本国憲法を歴史的に考えるというのは譲れない点ですね。この憲法、とくに9条には、先の大戦、日本のみならずアジアの死者の記憶が宿っているのだと考えます。たとえば、盧溝橋の傍にある抗日戦争博物館にいくと、展示の最後に憲法9条が出てきます。連合国の一員であった中国からすると、日本は先の大戦を反省してこれからは平和主義になったという意味をも、そこに込めたのでしょう。
しかし、実際に戦後の日本では、こうした戦後の出発点はあまり真剣に受けとめられてこなかったように思われます。戦争責任についても――日本政府は、戦争とは1937年以降といっていますが、1931年の満州事変、さらにその前から含めて考えるべきでしょう――その責任という問題を考えるにあたっては、コロニアリズムの問題を避けては通れません。しかし、ほとんどの戦後補償裁判で原告が敗訴していることからもわかるように、これは日本の政府や企業を含め、日本社会そのものがまだ清算できていない問題なのです。
このようななかで出てくる改憲は、そのこと自体が、現憲法が必要であるということを示していると思います。かつての戦争について悪いといえない、被害者に謝れない、そんな戦争の負債も歴史の清算もできない政府に対しては、9条でもって、国権の発動としての戦争を禁止しておかないと危ないのです。仮にもし、様々な法律で個人の人権を侵害するような政策をかなえてゆく、教育勅語的発想をする国や社会でなくなれば、そのような禁止規定はいらなくなるかもしれない。しかし、そうではない。「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す」のが教育基本法改正の目的とされ、為政者は、「平成の教育勅語」をつくるなどという言葉を平気で口にする。現状は、非常に危ういのです。憲法や教育基本法、これらの規範力を、市民社会が復活させることが大切です。

(聞き手)
フランスやアメリカなどのように、歴史的にも国民の側から権利や自由といったものの保障を権力担当者に押しつけてきた国と比較すると、日本では、「憲法とは権力に対して押しつけていくものなんだ」という認識の共有の度合いが低いようにも思えます。そうすると、現憲法は、自ら生きる意味を見出していく自律的な個人像に基づいているのですが、一方で日本人のなかには、どちらかというと自らを律するのが苦手で、ともすれば誰かに生き方を決めてもらいたい、あるいは委ねたいと実はどこかで思っている人も案外少なくないようにも思えます。そこで、最後のご質問なのですが、そうした状況があるとすれば、にもかかわらず立憲主義という考え方を選択すべきだという高橋さんの意識を支えているものは、どこに見出されると思われますか?

(高橋さん)
日本では歴史的に、お上に頼る、国が何とかしてくれるという発想が人々の間で強いですし、とくに若い人たちには、国家権力は怖いものだという発想がほとんどありません。ある種、友だち感覚で為政者や国家権力を見てしまうところがあります。それは国家権力というものに対する完全な誤解だと思いますが、もしこの国の人々がその点について無自覚なままであり続けるのであれば、いつか後悔する日が来るのではないでしょうか。
憲法が変わり、法律が変われば戦争する国にもなりますし、精神的自由も侵害されます。それは私には耐え難いことです。だから私は、今の憲法に盛り込まれているような積極的な価値を守るべきだと思うのです。しかし、民主主義の下でなんとかなるんじゃないの?という人たちが多いということは、突き放していえば、どうしようもないことです。しかし、見方を変えれば、すべてはそこから始まるのです。
近代立憲主義は、厳しい状況から自分たちの権利を認めさせてきました。日本は、それらを守る苦労はしてきたかもしれませんが、つくる苦労はしていないという特殊的状況があります。中国も韓国も、膨大な犠牲を払って自分たちの国を持ったという歴史的経験を有しています。改憲されることによって、そういう歴史的経験を、われわれが真に持つ機会になるかもしれません。
いずれにせよ、現憲法には変えたい部分もありますが、民主主義、平和主義などの守りたい価値が中心にある。現実を変えて規範に近づけていくという価値を獲得する運動が、日本という社会のあり方にとっても意味を持てばいいと思います。結局、問題は、自由、平等、平和、これらの価値を自分たちの社会に必要なものだと、自分たちが認めるかどうかということだと思います。

(聞き手)
 今日は、大変お忙しいところ、どうもありがとうございました。

◆高橋哲哉(Tetsuya TAKAHASHI)さんのプロフィール

 東京大学大学院総合文化研究科教授。デリダとディスコンストラクション(脱構築)を中心とする現代思想・哲学、戦争やジェノサイド(ホロコーストなど)に関する歴史と記憶、責任などの問題、政治哲学における正義論などを研究。最近は、憲法や教育基本法の問題についても積極的に発言している。NPO「前夜」共同代表、季刊『前夜』編集委員。

【主な著書】
『教育と国家』(講談社現代新書、2004年)
『「心」と戦争』(晶文社、2003年)
『歴史認識論争』(編著、作品社、2002年)
『歴史/修正主義』(岩波書店、2001年)
『戦後責任論』(講談社、1999年)
『デリダ ―― 脱構築』(講談社、1998年)



 
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