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今週の一言

 

高畑監督、アニメを語る
   ―「心」「理性」そして第9条

2005年1月10日
高畑勲監督(映画監督。アニメーション作家)
 聞き手 事務局

いま、「心」「感情」が重視される映画が増えている

―いま、映画の状況あるいは傾向にはどんな特徴がみられるのでしょうか。
高畑 世間では、泣ける映画が大ヒットしています。「泣けた」が映画のポイントです。現実の生活はなかなか快い気分にさせてくれません。現実を描いてもいい気分の世界に連れこめないので、映画でもテレビでも小説でも、現実に手を加えるわけです。人びとは映画を観て感情を刺激されて感動し、快い気分になりたいのです。
 これは映画に限りません。本のベストセラーなども「感激して泣いた」とか、そんなものが多い。現実には起こり得ないようなファンタジーに酔っています。今はそれだけ皆苦しいのだろうと思います。
 つまり、理性を眠らせて感情的になって心をとろかせてくれるものが喜ばれていますね。

―そういう現象は、世間が求めているからでしょうか。
高畑 そうですね。それはじつは、現実の暮らしの中では、うまく心や感情が動かないからではないでしょうか。
 だから、やたら心が問題になる。「癒し」もそうですね。「心」とか「感情」が重視されることはよさそうに見えますが、最近、「心を通い合わせる」とか、心を能動的に働かせる言葉がたくさん使われるようになりました。しかし、心は「通い合わせ」ようとしても、テレパシーではないのですから簡単に「通い合う」かどうかはわかりません。「信頼関係を築こう」と言われても、プロセス抜きに一朝一夕で築けるはずはない。信頼関係というのは、ほんとうの交流があって生まれるものです。「心を閉ざす」はあっても「心を開く」という言葉も昔はありませんでした。心はドアのように開こうと思えば開けるものではないでしょう。心は、ほぐれる状況が生まれれば自然に「開かれる」ものです。また、何か事件があると、「心のケア」が必要、などと言われ、心理療法士が派遣される。するとみんな安心しますが、そう簡単にケアできないのが「心」ではないでしょうか。
 こういう現象は、じつは、心も操作可能なもの、操作しなければならないもの、という考えが一般的になったことをあらわしています。
 心は操作できるものだという考え方には、こわい部分があって、国が国民の心を操作することにもつながると思います。実際に日本では心が操作された経験があるわけです。私の兄もすごい軍国少年でして、死ぬつもりになっていました。最初に言った、心をとろかすものだって、ファンタジーとか恋愛とかばかりではなくて、日本という国が世界に打って出ることもそうです。オリンピックを見るとよく分かるでしょう。アナウンサーが絶叫して煽れば熱狂してしまう。
 文部科学省が作成し推進している小中学校の「心のノート」などでも、「心」を操作しようとしています。煽っている面があります。「心のノート」は一見良さそうに見えます。しかし、心はやはり、自分であれ他人であれ、操作するものではなくて、自然と湧き上がってくる、あるいは湧き上がるのを待つものではないでしょうか。
 心を軽視するのではありませんが、いまこそ理性が大切と言いたいのです。心というものは理性を働かせていたらひからびてしまうかというと、そんなことは決してないのであって、理性に従っているうちに理性を超えて湧き上がってきてしまうものが心です。
 だいいち、いまの「心ブーム」は、みんな自分の心ばかりを問題にしているような気がします。他人への思いやりというのは一種の想像力が必要ですが、想像力というものもまた、理性がなければ働きません。
 
―国民の側が求めている心とか感情の重視と、ある種の意図を持った心の操作とは結びつくということでしょうか。
高畑 そうですね。今は違うように見えていますが、根本のところであっという間に結びつく危険性を持っていると思います。今、何をしたらいいのかわからない、不安だという若者がいっぱい増えていると言われます。これはものすごくこわいことです。心の統一を図ってくれるようなものがドンと出てきたら、一致してしまうことは簡単に起こると思います。日本人は気持ちがそろうということが非常に好きですから、皆が一致団結して日本という国が海外で名を上げるとかいうことに向かいやすいですね。

―心や気持ちを求める背景には今の現実の社会状況があると‥‥。
高畑 そうですね。心がカサカサになっていて、バラバラで、現実には本当の心の結びつきとかがないんですね。このような中で自分たちの間で努力していい結びつきを生み出していくというのでなくて、上から与えられると安心するんですね。その一番大きくて恐ろしいものが戦争に引っ張っていくことだと思います。戦争はいったん始まってしまうと、そう簡単にはやめられない。やめる、というのは誤りや負けを認めることになるからです。人は始めた連中についていくしかなくなるんです。ブッシュ大統領のような、ブッシュパパと比べても情けない人が選挙に勝つんですからね。ウソで始めたことが分かっていて、現にイラクでたくさん人が死んでいるのに。

「ハラハラ」と「ドキドキ」

―心に能動的に働きかけるという点では、アニメーションもそうではないでしょうか。
高畑 そうなんです。アニメーションが今大成功しているのは、心に働きかけているからです。しかし、私は実はその潮流の中で違うことをやってきています。観たときにその中に没入してしまわないで、理性を眠らせないような作り方をかなり前から一貫してやっているつもりです。しかし今は内側に入ってしまう没入型のアニメが多いですね。人間没入しないと簡単には泣いたりできないですからね。
 没入しない場合に起こるのは笑いだったりするわけです。笑いをもっと大事にしないといけないと思います。いまの日本のアニメで笑いで大ヒットしたものはほとんどありません。もっとも、笑いでなくても外側に立つことは可能です。場合によってはニヤニヤ笑う程度で。私が監督したものでは、「赤毛のアン」「じゃりん子チエ」「平成狸合戦ぽんぽこ」がそうです。「ホーホケキョ・となりの山田くん」なんかも今のアニメの風潮に対するアンチテーゼとして出しています。でも日常生活の中の小さなことを扱っていて、壮大なものではなく没入型でもありませんから、ヒットしにくい。
 めくるめく世界に没入させてくれるのはディズニーランドです。お客さんを乗り物に乗せて現場の中に突っ込んでいきます。自分がその中の一員になれたような感じがするわけです。そういう没入型のディズニーランド方式をアニメで成功させたのが宮崎駿さんだったとも言えるわけです。没入する方が、観る方も満足です。気持ちが面白いように翻弄されるわけですから。
 
―没入させないということは、観る人の自律性を考えておられるのですね。
高畑 そうです。リアリティのある映像と大音響を浴びせかけて、否応なく見る人を受け身にさせてしまうのではなく、ある程度他者として客観的に見られるように作る、ということです。そうすれば、感情移入するためには、観客は想像力を使って自分の方から画面の中に能動的に入っていかなければなりません。昔の映画は皆そうでした。「自分だったらどうするだろうか」とか、「世の中にはこんな人もいるんだ、こんなこともあるんだ」などと考えながら観たものです。しかし、今はそんなことは考えません。バンバンバンバンッと機関銃で撃って、自分だったらどうするか、「俺なんかあんなもん持てないよ」とか「俺は撃たれる側にいるんじゃないか」なんて考えません。
 
―没入させないための工夫とはどんなことでしょう。
高畑 いろいろありますが、ひとつは「ハラハラ」と「ドキドキ」の違いですね。「ハラハラ」は状況が分かっているときに起こる感情です。例えば目の前に落とし穴があることを観る側は知っていて、そこに何も知らない主人公が近づいて行ったら、観る側は「そっちへ行ったら落っこちちゃうよ!」とハラハラします。落ちそうなのが自分が嫌いな人間だったら、にやにやしていて落ちれば笑います。こういうことはシチュエーションを知っており、自分が外にいるから可能になります。どちらにせよ、理性が生きているのです。フランスの「キリクと魔女」というアニメがこのタイプの典型でした。「ドキドキ」はちがいます。暗闇の中を主人公が進むとき、自分も主人公と一緒に歩きます。どこに敵がいるか主人公も知らないけれど、観客も知らない。シチュエーションが分かりませんからいつもドキドキしています。そして急に闇から敵が襲ってくる。ドキッ! でも主人公は見事にかわして相手を倒します。ホッとします。その繰り返し。これが没入型ですね。「ドキドキ」はすごいけど、「ハラハラ」はない。笑いもありません。主人公と同じ立場に観客を立たせるように、どんどん主観的に作ります。逆にシチュエーションを丸ごと見せていけば映画は客観的になり、見る人は感情だけでなく、理性を働かせることができます。
 
―そういう意味では、今の政治やマスメディアが、テロとか「拉致」とかに目を集中させがちで、ものごとの歴史的な背景や世界のさまざまな動きの全体像を国民に示して考えてもらうという視点が乏しいことにも似た面がありますね。
高畑 まったくおっしゃるとおりです。受け取る側がもし、複雑怪奇な現実には理性を働かせて対処して疲れるから、せめて映画ぐらい没入して「癒され」たり楽しんだりさせてくれよ、というのならいいんですが、どうもそうではないらしいことが気にかかるんです。こんな映画ばかり見て「泣けた」なんて言っているうちに、現実が映画のようになることを望むようになり、現実でも「のせて」もらいたがるのではないか。ブッシュはそれで成功しました。テロ根絶だとか、対テロ戦争などと言って。これは心の動員です。「戦争」というのはおかしいし、テロには必ず原因があります。まして自爆テロなんか。その原因をなくす努力をしないで根絶しようと思えば、テロをやる可能性のある人は全部殺すしかないわけですから。テロをなくすにはその原因をなくさなければなりません。これは理性的な作業です。
 
第9条は理性を眠らせないための最後の一線
 
―ところで高畑さんは、11月の「映画人九条の会」の結成に呼びかけ人として参加されましたね。
高畑 憲法9条は日本と世界のシチュエーションの客観的な理解にもとづいています。押し付けられたかどうかということは関係ありません。9条からものごとを見ていくというのは、理性を眠らせないで済む大きな枠組みです。
 理想に過ぎないというのもおかしい。憲法は実現すべき理想が書かれています。まだ実現できていない条項もいっぱいあります。9条の場合も理想に向かってどれだけ努力したかということが問われています。教育基本法の改正とか、武器輸出3原則の緩和とか、戦争しやすい国に変えていこうとしているのは大変問題です。9条という憲法規範に違反しているではないかということを問題にしていかなくてはなりません。
 特に問題なのは、日本は一旦現実を受け入れた場合、ずるずるといく体質を持っていることだと思います。なぜかというと、島国で鎖国の時代が長かったりしたということだと思います。反対する人をのけ者にして、全員一致主義的に「和」を計る。一旦決まったことは少々問題が起きても別の角度から考えて方針を変えるということがしにくい。戦時中がそうでした。そしてずるずる悲惨なところまで行ってしまった。戦後も政権交代はほとんどありませんでした。第9条は最後の一線です。国際関係や外交で、9条があるから理性的に軍事とは違う手立てを考えなければならないですし、将来も戦争へとずるずるいかないですむ可能性が残るのです。今政府はアメリカに追随していますが、国民がそれに従っていっても責任は何もとってもらえないと思います。
 9条が改正されたら、日本はアメリカ以上に危険になると思います。アメリカはまだバラバラな人がたくさんいますからね。ブッシュ支持だって半数です。

アニメとイマジネーション、未来

―アニメの話に戻ります。アニメにおけるイマジネーションについてお聞かせください。
高畑 イマジネーションに溢れているようにみえるファンタジーのアニメの世界は、本当の意味でのイマジネーションを育ててくれません。自分のイマジネーションが貧困になっているから、非常に優れた作家たちのイマジネーションに依存しているのです。これは情けないことだと思います。
 それと、今は自分のことばかりに気をとられている人が多いですね。他の人はどうなんだろかとイマジネーションを働かせることが大事です。たとえば、ゴジラのような怪獣映画を観るとき、自分をヒーローやヒロインに重ね合わせることばかり皆さんしているかもしれません。しかし、ゴジラに踏みつぶされる家や車の中にいる人はどうなんだろう、自分もじつはその中にいるのでは、と想像することが本当の想像力であり、自分のためにも他人のためにもなる役に立つ想像力です。
 
―アニメにも未来への希望というか、未来を予測させるように感じられる面がありますね。
高畑 こういう時にはすごい力が沸いてきて危機を突破するだろう、なんていうのは空想にすぎません。未来に何が起こるかと考えるときに、自分たちがしっかりとつかめて参照できるのは残念ながら過去しかありません。若い人たちは、子どものときから将来いいものを築かなければならないと言われ続けて苦しいと思います。しかし、未来は何も見えません。ポール・ヴァレリ―の言葉に、「我々は後ずさりしながら未来に入っていく」という意味のものがあります。過去も見ていないのに未来なんか見えるはずがありません。歴史を勉強する地道な努力を積み上げることが大事ですが、アニメは歴史認識ができるようには作られていません。 
 これは余談ですが、「自分を見つめ直そう」とか「自分探し」、「アイデンティティ」という言葉がはやっています。しかし、極端にいうと、自分が何かは自分ばかりを見つめていても出てきません。自分探しをして閉じこもっていたりすることになりかねません。他人との関係で自分はあります。他人の中に入っていき、他人との関係を知る、作ることによってしか自分を発見することはできません。

高畑勲さんのプロフィール

 1935年生まれ。三重県出身。大学卒業後東映動画に入社。「狼少年ケン」などを演出した後、1968年「太陽の王子・ホルスの大冒険」を初監督。いくつかのプロダクションを経て1985年、宮崎駿氏らとともに、スタジオジブリ設立に参加。この間、「アルプスの少女ハイジ」「じゃりん子チエ」「セロ弾きのゴーシュ」「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」「平成狸合戦ぽんぽこ」「ホーホケキョ・となりの山田くん」などの劇場用映画、 TVアニメを監督した。「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」のプロデューサーでもある。
 著書に「映画をつくりながら考えたこと」「同U」「木を植えた男を読む」など。最近、ジャック・プレヴェールの詩集「ことばたち」を全訳した。
 2004年11月には、神山征二郎監督らとともに、「映画人九条の会」の結成に呼びかけ人として参加。


 
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