法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

法学館憲法研究所

Mail info@jicl.jp
 
今週の一言
憲法情報Now
 憲法をめぐる動向
 イベント情報
 憲法関連裁判情報
 シネマ・DE・憲法
 憲法関連書籍・論文
 ■今日は何の日?
憲法Voice
研究所・客員研究員紹介
中高生のための憲法教室

憲法文献データベース
日本国憲法全文
リンク集
 
事務局よりお知らせ
賛助会員案内
メールマガジン
ご意見フォーム
サイトマップ

今週の一言

 

桐生工業高校生徒会誌切り抜き事件とは

2004年11月22日
原告・松本正さん
弁護士・石川憲彦さん

(聞き手)
 2004年7月15日、最高裁第一小法廷で桐生工業高校生徒会誌切り抜き事件の判決が出されました。この裁判は、生徒会誌に寄せた松本先生の原稿が、安保闘争や勤評闘争のときの想い出に触れてあり、それが政治的な表現で生徒会誌には相応しくないとして、当時の校長が切り取らせたという事件ですが、2000年11月1日には前橋地裁で、また2002年5月9日には東京高裁で判決がだされていました。そこで、原告で元桐生工業高校教師の松本先生、代理人をつとめた石川憲彦弁護に、これまでの経過などをお伺いしようと思います。まず、最初に松本先生、提訴したときの状況や周囲の人の反応などはどのようなものだったのでしょうか?

(松本先生)
 最初、私は、提訴はしない方が楽だと思っていました。しかし、私の40年分の人生が詰まった文章を勝手に切り取ってしまった、こればかりはとても許せませんでした。原稿を寄せたのは、生徒が中心になって編集した生徒会誌です。それを校長が勝手に切り取り、奪ってしまったのですから。事件が起こってから提訴まで色々と相談したりしていましたので少し期間がありました。最終的には、教え子から「憲法を守ろう」という刺繍の入ったネクタイやのぼりをもらったりして、織物の町らしい支援を様々な形で受けることができました。ですから、期日や裁判のときには、いつもそのネクタイを締めていました。そして、同僚の先生たちは、私の文章を切り取らねばならなかったことを、「精神的な拷問」だったと告白してくれました。先輩の人生を切り取らなければならないという苦痛。しかし、それを生徒にやらせるわけにはいかなかった、と。

(石川弁護士)
 松本先生は、染色科の先生という専門性のある教科の教師だったこともあって、長い間、桐生工業高校に勤められていました。そういうわけで、地元の人たちにとってみれば、親子二代に渡って教わった先生なのです。だから地元で支援してくれる人もたくさんいて、傍聴席はだいたい50人くらいが入れるようになっていましたが、いつも満席でした。
 私にとっては、具体的な裁判として教育裁判を担当するのは今回が初めてでした。当初、私は慎重論で、裁判には反対していました。争点は、生徒会誌を切り取るよう命じた校長の職務命令です。いってみれば、文部行政に真っ向から対立する裁判になるわけです。「切り取る」という行為が不法行為にあたることは明らかでした。しかし、松本先生には、一度裁判を起こすとなると、定年後のゆっくりした生活はできないよと、10年くらいの覚悟で地道にきちっと取り組む覚悟が必要だということをいいました。群馬県は、ご存知のように中曽根康弘さんや小渕恵三さんといった政治家をだしてきた土地です。そして、当時の文部科学大臣は、中曽根康弘さんの息子さんでした。そのような状況のなかで、地元の弁護士5人から、この裁判はスタートしたのです。

(聞き手)
 実際の裁判では、多くの教育学や教育法の研究者などにも意見書をお願いしたり、また著名人にも支援を呼びかけるなど、相当に裁判の作りかたについても工夫されていたように思います。そうしたなかでだされたそれぞれの判決について、当事者としての評価を教えてください。

(石川弁護士)
 一審は、こちらの主張をまともにとらえてくれませんでした。文部科学省の指針と行政解釈を、そのままだしたようなものです。憲法判断をしていませんし、全体を通してみたときに一貫性もありません。実はこれには疑問があるのです。
 当初、私は、裁判官に裁判官としての使命感を自覚してもらわねば、論理だけではこの裁判は勝てないとふんでいました。それゆえ、傍聴に人を集めたり、証人に配慮したりと、心を砕きました。そして次第に、裁判官の態度も変わり、証人の話を聞いてからはきちっとメモを取るようになったりと、訴訟指揮も変わってきました。しかし、突然、何の前触れもなくその裁判官は、まだ定年まで相当な年月を残しつつ退官してしまいました。結局、後任に就いたのは、最高裁判所の事務総局から来た人です。そのせいか、一審判決をよく読むと、前半と後半でまるで一貫性がなく、全然違う内容なのです。まるで二人が書いたか、それとも意に反して書かされたとしか思えません。何らかの力がかかり、最後にどんでん返しがあったのではないかと、今でも思っています。
 また、二審判決は、一審を補強する形の判決でした。二審からは東京に移り、一審が無視した証人の発言内容、つまり日本の教育学界の水準をふまえ、憲法問題として論じてもらうように仕向けましたし、また、生徒の意見を取り入れるということもしました。子供の権利としてこの問題をどう捉えるかという点を強調したかったのです。証人調べで直に聞いてくれるよう要求しましたが、意見書のみで、結局一人も採用されませんでした。印象としては、裁判官はこの問題について深く論じようとしていないと感じました。
 さらに最高裁では、広く一般に知られている著名人にも呼びかけ、賛同人になってもらいました。山田洋三監督や、作家の井上ひさしさん、小森陽一教授など、多数の方が署名してくださいました。2ヶ月に一回最高裁に行き、書記官に会って署名を渡したり、ビラを配ったりという活動も積極的に行いました。その頃、最高裁が出している判決をインターネットで調べて分析したところ、普通の民事事件だと85〜90%は1年以内で判決がだされており、その他は2年か3年、長くて5年だということがわかりました。とくに、まともな憲法問題が入ると2年以上はかかっている。そういうことを考慮し、本件では2年から3年くらいかかるとふみ、署名活動をすすめました。
 結果的に、最高裁でもこちらが提起した問題には何も答えてもらえませんでした。先例として取りあげられている裁判は5件ありましたが、いずれも本件との関連性を見出しがたいものばかりです。判例の射程についてもめちゃくちゃです。証人の一人である堀尾先生も、「裁判官の職責を果たしていない」と激怒されていました。 (聞き手)
 判決を読むと、教育学や教育法などの学説の到達とは異なるかなり独自の解釈が、いろいろな論点で展開されていますね。また、実際、裁判所は、校長の職務命令についての権限や表現の自由といった論点については、あまり正面から向き合わなかったという印象をもっています。読み手である生徒との関係でも、「切り取り」という行為が最善の方法で、校長には他に選択肢がなかったのかという点はあまり深く検討されたとは思えません。本件に関する研究者の判例評釈でも、いずれも判決を批判したり疑問を示すものばかりです。とはいっても、結局、裁判という場では、松本さんたちの主張は受け入れられませんでしたが、いま裁判をふりかえってみてどういった感想や想いをおもちですか?

(松本先生)
 今年、実は、本件が国際人権活動日本委員会のレポートにかなり中心的に取りあげられています。現物を見せたら、「日本は先進国なのに!」といって、外国の人はみんなものすごく驚いていました。このような形で、これから少しでも私の事件を知らせて、日本の教育基本法の問題や行政の問題について、多くの人に広めてゆけたらと思っています。現在、本件のような切りとり事件という形態ではなくても、君が代処分などのように、様々な形での教員統制とでもいうべき方向性が全国各地で見られていると思います。こうした方向には、大変憂慮しています。

(石川弁護士)
 裁判だけでいうと、最終的に私たちの敗訴という形にはなりましたが、弁護士や支援の人たちなど、何らかのかかわりをもった人たちは、この事件の本質をよく知り、憲法や教育に対する理解を深めていったと思います。そして、こういったことが、国民が力をつけていく契機になるのだろうと思います。裁判では勝てませんでしたが、それでも、少なくとも、ここ群馬県では、二度と校長がこのような行為をすることはできないはずです。松本先生のこの間の頑張りが、そういった将来の教育行政の不当な介入を予防する、大きな礎になっていると思います。

(聞き手)
 どうもありがとうございました。

◆松本正(Tadashi MATUMOTO)さんのプロフィール

1936年生まれ。桐生工業高等学校にて化学教師として40年間勤務。勤評闘争や安保闘争に身を投じた経験から、平和の大切さや社会的な事件に対して目を開くという姿勢を生徒にも伝え続けてきた。退職時、自分の人生から何か学んでもらえればとの想いで、「先生は卒業生 40年の回想」を生徒会誌へ寄稿。しかし、その内容が生徒会誌に相応しくないと判断した校長の職務命令により、原稿が切り取られたため、提訴していた。


◆石川憲彦(Norihiko ISHIKAWA)さんのプロフィール

弁護士。桐生合同法律事務所。本件訴訟では、一審段階から松本正さんの代理人を務めた。



 

 
[今週の一言][憲法情報Now][中高生のための憲法教室][憲法文献データベース][事務局からのお知らせ]
[トップページ]