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今週の一言

 

沖縄のこころ、憲法のこころ

2004年11月15日
大田昌秀さん(参議院議員、前沖縄県知事)

(聞き手)
 今日は、国会開会中のお忙しいなか、ありがとうございます。憲法や沖縄に関することについて、お話を伺いたいと思うのですが、まず、つい先日、沖縄では沖縄国際大学への米軍ヘリの墜落事故がありました。この問題をめぐるアメリカ政府や日本政府などの反応について、どのような印象をもたれているのかといったあたりから、お話を聞かせてください。

(大田さん)
 ヘリが落ちたとき、私はたまたま那覇にいましたので、急いで現場にかけつけました。かけつけたときには、すでに米軍がテープを貼っており、中には入れませんでした。身分を明らかにして再度、中に入れてほしいということを言いますと、警察の方から「事故が起こる危険性があるのでだめだ」と言われました。現地の警察署長さえも入れないという状況だったのです。
そのときにまず感じたのは、これでは沖縄が復帰する前、つまり日本国憲法が適用されなかった復帰前と同じ状況ではないかということです。ヘリが墜落したのは大学構内です。日本国憲法では大学の自治を認めているのに、それを勝手に踏みにじられる。これは大変重要な問題です。そして、日本は主権国家なのかという憤りも感じました。大学自治の問題にとどまらず、日本国内で起こった事故なのに一切がアメリカの思うままに処理されてしまった。このような事態は、主権国家にはありえないと思います。大学の自治が侵害されているばかりか、日本の独立国家としての主権さえも侵害されているという現状は、憲法が適用されている状況とはとても思えませんでした。いまだにアメリカの植民地下としての領土というような感じを受けました。

(聞き手)
 大田議員は、1995年の少女暴行事件のときには知事の立場にありましたが、その後の代理署名には協力せず、日米の政府に対しては、とくに普天間基地の危険性を指摘して即時の返還を求められていました。あれからもうすぐ10年が経とうとしていますが、その当時と現在を比べて、沖縄の米軍や基地をめぐる状況は変わりましたか?

(大田さん)
 沖縄の基地の状況は、復帰後、ほとんど変わっていないといえます。削減されたのは、せいぜい30%程度で、60%程度はそのままです。私は、基地のない平和な沖縄をつくるために、県知事をやっていたとき、具体的な計画を定めた基地返還アクションプログラムというものをつくりました。沖縄には、40の米軍施設がありましたが、2001年までに10の基地の返還、2010年までに14の基地、2015年までに残りの16の基地を返してくれという内容のものです。当時、橋本総理から優先順位をつけたらどこかと聞かれ、それは普天間の基地だと答えました。普天間基地は、宜野湾市の真ん中にドーナツの輪のように位置しており、周囲には16の学校施設もあります。かつては、近くの小学校にジェット機が墜落し、17名の小学生が死亡したという事故もありました。それと同時に、1995年の暴行事件以来、沖縄県民の基地に対する感情が悪化したという事情もあります。住民感情の変化も考慮し、政府には率直に次のように提言しました。「政府は安保が大事だというが、もしも次に人命にかかわる事故が再び起こったら安保条約どころではなくなる。沖縄の人たちは穏やかだといわれるが、追いつめられて真正面から闘ってきたという歴史も同時に持っている。行政として一番注意しなければならないのは、米軍と沖縄住民の直接対決だ。それだけは絶対に避けなければならない」と。現在、この国会前でも、半年もの間、お年よりたちが座り込みをしていることからもわかるように、基地に対する激しい住民感情の高まりがあります。私が見通していいたとおりだと思います。しかし政府は、強行しようとしている。なかなかそのへんの実情が、東京では実感できないところが残念だと思います。日本政府よりもアメリカ政府の方がよっぽど理解がありますよ。
 アメリカ政府は、代わりになる基地をつくるといっています。また私は、アメリカ訪問のたびに沖縄の現状を訴え、そのことに手ごたえも感じてきました。たとえば、ハワイの州議会などでは、沖縄の負担を軽くするためにハワイが基地を引き受けようという決議をあげ、当時のクリントン大統領に手紙を送ったものを議長がみせてくれたりしました。ハワイの場合は沖縄と違い、住民の住居地区と基地が離れているので、基地の影響をあまり住民が被らないし、むしろ歓迎するということでした。また、グアムにもがら空きになっている基地があり、そこならば移転ができるという話もあります。3500人は引き受けるといってくれました。普天間は2500人です。これで私は喜びました。
 沖縄では、辺野古が普天間の移転先にあがっていたのですが、それは絶対に反対です。辺野古は、環境調査で県が1位にランク付けしたところです。基地がつくられれば、世界でも有名な貴重な珊瑚が大量に死ぬのです。そこで、1998年の知事選のとき、選挙公約として、辺野古には作らせないということを公約として掲げました。現在の知事である相手候補も、海上には作らないと公約していました。しかし、当選したら陸上から海上へ移し、さらに軍民共用までも認めました。私はこのとき、これは滑走路が2000メートル以上の空港をつくろうとしているなとぴんときました。つまり、関西新空港なみの滑走路です。予算も5000億から7000億という見積もりだったのが、1兆円から1兆5000億くらい実際にはかかるだろうといわれています。海兵隊のハミルトン沖縄中隊長の論文には、「このような海上基地は世界のどこでもまだつくったことがない。技術的にまだ難しい。2番目に海に沈む基地になるだろう(1番目は真珠湾)」と書かれていました。さらにハミルトンは、「海兵隊の宿舎は海の中にできる。そのようなところへ押しやられた若い兵が、いざ有事になったときに日本を助けるか」というような指摘をしていました。つまり、使い物にならないということです。政府与党は、グアムやハワイにうつすのは非現実的な理想論だとして採用しませんでしたが、いまは、時間がかかったけれど、ハワイやグアムに移そうという決議をあげるまでになったのです。

(聞き手)
 沖縄の人たちは、戦後の歴史を見ると、憲法の平和主義の出発点にかかわる問題にしても、その「陰」の部分を負わされてきたということがあります。また、たとえば戦争に対するとらえ方にしても、自分たちの土地が米軍の基地になっていることで、間接的にせよ加害の側にたっているという想いを一番共有しているのではないかと感じます。「基地を生産と生活の場に」という反戦地主の方のスローガンなどは、その典型だと思いますが、一方で、では沖縄の人々のこうした想いを、日本全体としてはどれほど共有しているのだろうかという疑問もあります。この点については、どうお考えでしょうか?

(大田さん)
 非常に重要な問題ですね。沖縄は戦中、戦後にわたって戦争の悲惨さを体験してきました。「テロ」の悪さについては誰もが認識していますが、結果的に「テロ」撲滅を言い訳に、罪のない子供や市民が殺されています。それに加担しているということに敏感なのも事実です。市民の取り組みにおいても、基地をなくしていく方向でしばしば語られることは、人を殺すためではなく、生活や生産の場にしたいという沖縄の伝統的な考え方です。
 そもそも日本政府は、戦後アメリカ政府に対して、基地はできるだけ東京から離れた離島にといっていました。これがすべての基本になっています。沖縄の人は基地問題を、日米安保条約の一部なのだから日本全体の問題だという意識でいますが、本土にはそういう意識はないことがよくわかります。本土のマスコミはそれを「温度差」といいますが、ただ「鈍感」なだけです。
 先日のヘリ墜落事故のとき、小泉首相は歌舞伎などは鑑賞しながら、県知事との面会は拒否したということで、その対応に地元住民が怒ったということがありましたが、そのときに沖縄戦のことを思い出しました。当時、沖縄で住民がみんな死にゆこうとしている大変なときに、東京では大相撲の夏場所をやっていたのです。文字通り、本土と沖縄は一体とは考えられていなくて、都合のよいときだけ一体、都合が悪くなると切り離すのです。また、沖縄出身の議員がほとんどいないということも、議員が沖縄問題に口先でしか取り組まないことの要因となっています。沖縄の人は、自分の苦しみを他の地に移すことが問題の本質的解決にはならないということを考えたうえで、安保条約や地位協定の根本的な見直しを要求しています。しかし、政治家たちはそれもわかっていません。民主主義という制度のもとに、そうした問題を押しつけられているのが沖縄の現状なのです。

(聞き手)
 かつて、沖縄が米軍占領下にあったとき、確か比嘉主席の時代だったと記憶していますが、米軍から民間防衛計画が示されたことがありました。その計画によれば、琉球政府から琉球大学まで、沖縄のあらゆるものが米軍に協力することを求められていて、米軍の軍事的合理性とでもいうようなものが貫徹しているといった印象をもたせる内容でした。そうした沖縄独自の経験などにも照らしてみて、最近の「有事法制」などに対してはどういった印象をおもちですか?

(大田さん)
 「有事法制」の議論が国会で始まったときは、絶望しました。人類の理想とするような平和憲法をもっていながら、また戦争のための法を作ろうとしているということに。
 国会で、私はこう質問をしました。「法律が戦争中に守られると思いますか?」と。沖縄戦のときには、戦争が始まると、日ごろから厳しいことをいっていた学校長、県庁の部長、知事、これらの人たちが最初に逃げました。色々な策を弄して逃げたり、穴の中にとじこもって出てこなかったり。そういうことが現実に起こるということは、沖縄の経験から明らかなことだろうと思います。軍隊が国民を守るなどといわれていますが、現実にはそんなことはないと思います。それが戦争の実態です。「有事法制」を議論している人たちのうち、いったい何人が戦争を知っているのだろうかと思い、防衛庁の責任者との会議中に、戦争を体験している者がいるかと聞いたら、一人もいませんでした。
 戦争というのは、平和の時代に論理的に色々と考えて計画できるものではありません。そして、いったん国家が戦争をはじめると、とくに最近の戦争では、死者の9割くらいは軍人ではなく一般人の犠牲です。実際、イラク戦争でも、民間人の死亡者の方がはるかに多いのは周知の事実ですよね。ミサイル戦争が主流の現代で、原子力発電が多くある日本。具体的に、この島国を戦場にして戦争を行うというのは無理なことだと思います。

(聞き手)
 実際、政府も日本が戦場になることは想定していませんね。国会でも、小泉首相や防衛庁長官はそのような答弁をしています。むしろ、米軍と共同して海外にでてゆくという方向で、日米安保再定義や周辺事態法以降は考えられていますし、テロ特措法やイラク特措法などでの自衛隊の活動地域も、国内ではなく、海外の領土や公海です。そこで、私自身としては、今後は、「一国単位防衛」や「一国安全主義」といった考えではなく、地域のなかで外交や安全保障を構想し、そこで「脅威」とされているものの背景や原因を見極めていくという発想がとても大事なのではないかと考えています。そしてその際には、かつての沖縄の東南アジアとの交流や、あるいは大田知事時代に策定された国際交流のプログラムなども大変参考になるのではないかと考えていますが、大田さんは、平和を創造してゆくという観点からは、どういったご意見をおもちでしょうか?

(大田さん)
 沖縄は、憲法が適用されていない時期があったがゆえに、憲法に対する想いは強かったのですが、いざ復帰する段階になると、若い人たちや年配の人たちから復帰反対論も出てきました。日本国憲法の「空洞化」が認識され、基地のあり方は変えず、核も保有したまま沖縄が本土化されることに反対したのです。私は、労働権、教育基本権、福祉の享受をえるために日本国憲法下への復帰を唱えました。実際はそうはいきませんでしたが、しかし、憲法が「空洞化」したからといっても、第一歩であることにはかわりない、「やむをえない選択」だと思いました。そしていま、戦中、戦後と一番苦労してきたお年よりの想いを適えてあげたいと思っています。「孫たちだけには同じ思いをさせたくない・・・・・・」という想いを。
 非常に気になるのは、若い人たちが戦争について知らないということです。戦争の実態を知らないのはもちろんのこと、想像力を働かせることもあまりない。アメリカは、日本の軍隊を本当には信頼していません。沖縄の米軍がいなくなれば自衛隊が入るのだろうという、「ビンの蓋」論は本音だと思います。沖縄の経験からすれば、軍隊は一般国民を守りません。また、基地があるための事件や事故といった負の側面も非常に大変です。行政も本来果たすべき住民のための民生の仕事ではなく、そういった負の側面に足を引っ張られてしまいます。だから基地は要らないといっているのです。日本政府が正式に要請すれば、基地はなくなります。若い世代の人たちが、歴史的背景も含めて真剣に考えてくれることが、明るい未来につながると信じています。

(聞き手)
 それでは、最後に、今後のライフワークとしてどのようなことをお考えなのかお聞かせください。

(大田さん)
 実は、ちょうど一週間ほど前に、沖縄の経過について本を出したばかりです。戦争の実態を詳細に、客観的に残してゆこうと思いまして。知事になる前は、16年間公文書館に通い資料収集をしました。そのときの地道な調査の甲斐あって、公には語られてこなかった様々な側面が見えてきました。沖縄の人々の努力と、日米両政府が民主主義の名において政治を行いながら、マイノリティに対して実際に行ってきたことを書き記しておかねばなないと思っています。
以前、ヨハン=ガルトゥング教授から、「民衆を信頼しなさい」という言葉を聞かされました。沖縄という言葉は、いまや世界中に知られています。教授は、「沖縄の問題を沖縄の中だけで考えようとしないで、外へ広げてゆきなさい。世界に目を広げてそこで連帯感を強めてゆくことが解決へとつながるのだから」とおっしゃってくれたのです。
 今後も、日本全体の問題である沖縄のことを真剣に捉えられる人を少しでも増やし、世界中の人に広めてゆくことによって、解決への道をさぐりたいと思っています。

(聞き手)
 今日は、1995年の沖縄県民総決起大会からちょうど9年目という節目の日でした(10月21日)。こうしたときに、大変お忙しいなか、貴重なお時間を割いていただいて、本当にありがとうございました。

◆大田昌秀(Masahide OTA)さんのプロフィール

1925年生まれ。早稲田大学卒業後、アメリカ留学。沖縄戦の実態の解明に没頭し、以後日本と沖縄の歴史的関係を基に沖縄のあり方を明晰に論ずる県民のオピニオンリーダーとして活躍。1990年、沖縄県知事に当選し、1998年12月知事を離任。2001年7月参議院議員選挙に出馬し当選。現在、参議院外交防衛問題委員会委員、国際問題調査委員会委員を中心に活動中である。

[著書]
大田昌秀『沖縄のこころ』(岩波書店、1972年)
大田昌秀『拒絶する沖縄』(近代文芸社、1996年)
大田昌秀『沖縄の民衆意識 新版』(新泉社、1995年)
大田昌秀『沖縄は主張する』(岩波書店、1996年)など著書多数



 

 
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