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今週の一言

 

私たち家族は、難民認定を日本政府に求めています!

2004年11月8日
カザンキラン・ゼリハさん(21歳)
カザンキラン・メールージャンさん(15歳)
国場大介さん(23歳)

(聞き手)
 今日は、難民認定を求めているクルド人のカザンキランさん家族の2人と、彼らを支援する国場さんにお話をお伺いします。クルド人の置かれた状況やカザンキランさんの様子については、このサイトの「難民訴訟」の6・7でも紹介していますので、あわせてご覧いただければと思います。では、まず来日する前のトルコでの生活状況について、お話していただけますか?

(メールージャンさん)

ガソリンをかぶって抗議の焼身自殺を図ろうとするのを、支援の人たちが水をかけて必死に抑える。
 トルコでは、町の小、中学校へ通っていました。2002年に母と姉が日本に来たので、私は祖父のいる村に移り、隣町の中学校に通いました。その学校では、クルド語を話すことは禁止されていました。ときどき友だちと隠れてクルド語を話していましたが、トルコ人の友人にみつかり、校長先生に告げ口されて、厳しく叱られたりしました。その村では、友だち同士でもクルド人のことで喧嘩になることはしょっちゅうあり、差別も数多くありました。クルド人だということだけで、様々な差別や嫌がらせを受けなければなりませんでした。

(聞き手)
 それでは、日本に来られてからの状況について教えてください。

(メールージャンさん)
 私が日本に来たのは、2003年6月11日です。日本に来たときの最初の思い出は、入管の対応です。祖父の名前や、家には部屋がいくつあったか、クルド人だと何なのだ、などわけのわからないことをたくさん聞かれ、なかには理不尽なこともされました。日本の中学校に入ってからしばらくは、日本語がわからなかったので、嫌なことがたくさんありました。心無い友人の一言に傷ついたり、外国人だという理由で陰口をたたかれたり……。でもいま通っている高校では、バスケ部に入り、良い友人もたくさんできてとても楽しく過ごしています。私の家族の状況を知ると、一人で600人の署名を集めてくれた友だちもいます。また別の友だちは、300人の署名を集めて応援してくれています。先生もとても親身になってくれていて、とても心強いです。
 国連大学前に座り込みをして今日で72日目ですが、この状況は明らかに普通ではありません。このやり方が正しいかどうかはわからないけれど、これしか方法がなかった。日本政府は、私たちを人間だと認めていないみたいです。日本人は大好きですが、日本政府のやり方はひどいと思います。

(聞き手)
 メールージャンさんの将来の夢は、なんでしょう?

(メールージャンさん)

抗議をするカザンキランさん家族。後ろには国連の警備官も控えているが、最後まで介入することはなかった。
 私は、将来は大学へ進学して弁護士になりたいです。自分たちのように、本当に困っている弱い人たちを助けるために弁護士になりたいと思います。今の状況については、心配してもしょうがない。できることをやるしかありませんから、そのために全力を尽くします。
日本の若者たちには、もっと広く世界の問題や世界で起きていることを勉強して、自分たちをはじめとして様々な問題があることを知ってもらえたらと思います。

(聞き手)
 では、ゼリハさんの場合は、いつ日本に来られたのでしょうか?

(ゼリハさん)
 私が日本に来たのは1年10ヶ月前です。トルコの高校を卒業してすぐで、私は19歳でした。本当は家族全員一緒に来たかったのですが、いろいろ問題があって危険だったので、ばらばらに来ました。弟は成田空港で5日くらい拘束されました。パスポートは問題ないのですが、日本にいる父の状況があまりよくなかったので、私も色々と質問されました。
 日本に来てからは生活ががらりと変わりました。来てすぐ日本人と仲良くしようと思っていましたが、父の状況を聞いていたり、父の事故があったり、難民申請や裁判のことも耳にしていたので複雑でした。日本人の性格にも最初はなじめず、悲しい思いをしたこともあります。でも、昨年の9月頃に日本語を勉強するために通った日本語ボランティア学校でとてもよい人たちと知り合い、ようやく心が打ち解けました。仕事も探し、1年くらい母と一緒に仕事をしましたが、そこの会社が倒産してやめないといけなくなりました。

(聞き手)
 家族を引っ張って、難民として認定してもらうよう頑張っているお父さんについては、どう思われますか?

(ゼリハさん)
 父のことを考えると心が痛みます。私たちは家族7人、長いこと父と離れて生活していました。日本と違い、私たちは基本的に結婚するまで家族と一緒に住みます。仲の良い家族だったし、トルコでは父がいなくてとても寂しく、困ったこともありました。父は、私たち家族のことを考えて日本に来ることを選びました。しかし、私たちはいまだに、楽しく生活をしている日本人の傍でいつもこの問題を抱え、人間らしく若者らしい生活を送ることができません。日本ではトルコのような悪夢も終わりにできると期待を抱いていただけに、父も悲しいと思います。
 一方で、私たちクルド人には、国もなくつらい立場に立たされているけれど、嬉しいこともあります。私は長女ですが、弟妹たちを見ても、同世代の若者と比べて、いろいろなことをよく考えているし、大人として自分の意見をもっています。それがとても嬉しい。
 私たちの願いは、普通の人間としての生活を送ること。そして、世界の人たちのために仕事をすることです。以前は外交官になりたかったのですが、いまのこの状況では無理なので、日本にいる以上きちんと日本語、英語を勉強し、通訳になりたいと考えています。

(聞き手)
 国場さんは、今回の国連大学前での座り込みのかなり最初の段階から、ご家族を支援してこられましたが、どういった想いから係わり始めたのでしょうか?

(国場さん)
 私は沖縄出身で、以前から平和の問題には興味があり、様々な取り組みにも係わっていました。その関係で入っていたメーリングリストで、難民の人たちが座り込みをしていることを知り、直感的に行ってみようと思ってここを訪れたのが、難民問題に係わるようになったきっかけです。7月のある日でしたが、その日は中野でのイベントの帰りで、かなり夜遅くなってしまい、彼らを驚かせてしまいました。
 家族に出会って話を聞いたとき、これは緊急事態だと思いました。いまの平和な日本で、人権もなくこんなに追い詰められている人が目の前にいるということにショックを受けたのです。ほぼ毎日通って、泊り込みをすることもしばしばあります。彼らが命をかけて座り込んでいることを考えると、自分の苦労は比較になりません。友達のなかには、この難民問題に関心をもってくれる人もいますが、あまり認知されていないと感じます。

(聞き手)
 一人の日本人として、いまの政府の難民政策について、どういった印象をもたれていますか?

(国場さん)
 日本の難民政策は本当にひどいです。人間として非常に疑問を感じます。命からがら逃げてきた弱い立場にある人をさらに追い詰めて、いったい政府は何をしているのかと思います。日本政府は、建前としては難民条約に批准しているにもかかわらず、実際は切り捨てているのです。だったら最初から、批准などしなければいい。そして、日本は難民を受け入れていないということを世界にちゃんと知らしめればいい。
 今後は、大学で中東問題に詳しい教授と相談し、同世代の友達にもこの問題を広く知らせてゆきたいと思います。多くの人に、まずは現場に来てほしい。とにかく足を運んで、声を聞いてほしい。目の前にある問題を解決することを考えれば、そこから自分のすることもおのずと見えてくると思っています。

(聞き手)
 日本の難民政策は、裁判所の判決でも難民条約の精神に合致していないという判決もでていますし、入管の収容については憲法上も問題があります。そしてなにより、この問題は、実は私たち一人一人にもかかわる問題だと思います。もっと多くの人に、こうした実態を知ってもらえたらと思います。今日は、どうもありがとうございました。

◆カザンキランさんのプロフィール

カザンキランさん一家は、川口市に住むトルコ国籍のクルド人です。7月13日から東京都渋谷区の国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)がある国連大学前で、難民認定などを求めて座り込みを続けていました。父親のアハメト・カザンキランさんは、トルコにいるとき、迫害を受けずに生活できることなどを求めて政治的な取り組みにかかわっていたことから、トルコ政府から拷問された経験をもちます。日本でのべ11年ほど働き、家族を呼び寄せましたが、国連機関が難民性を認めているのに日本政府が保護しないのはおかしいと訴えています。



 

 
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