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今週の一言

 

先行する憲法の根本改正としての教育基本法改正

2004年6月28日
西原博史さん(早稲田大学教授)

●憲法改正問題の核心は9条にはない
 7月の参議院議員選挙が終われば、(衆議院が解散されない限り)3年間は国政選挙の空白期ができ上がります。来年春に党としての憲法改正案を示そうとしている自民党に引きずられる形で、憲法論議が一気に本格化するでしょう。そうした動きに対して、国民は、どのように対処すべきなのでしょうか。
 憲法改正をもくろむ人々の考え方について、一つの行き渡った理解があります。「改憲論者が狙っているのは、9条改正である。彼らが出してくるその他の提案は、この9条改正を国民の側で受け入れやすくするための〈目くらまし〉である」。もし、この説明を踏まえた上で、改憲反対論者の安全保障構想にも納得できないものを感じたまま、憲法改正問題については成り行きまかせでいいかと考えている人がいるとしたら、とんでもない間違えをしようとしています。

●狙いは国家と個人の関係の組み替え
 憲法改正提案の本質は、9条改正にはありません。むしろ、もっと大きなことを考えて憲法を変えようとしている人々がいるのです。そこで根本的に変革されようとしているのは、国家と個人の関係です。もっとはっきり言えば、国民個人を主体とした国家のあり方が最終的に放棄されようとしているのです。
 もっとも、「国民個人を主体とした国家のあり方」という言葉すら、今の段階で、かなり空虚に響くことは否めないでしょう。すでに国民個人は、国家権力の主体というよりは、権力の客体としての位置にあるようにも考えられます。そこにあるのも、一種の「憲法と現実の乖離」かもしれません。だから、憲法を改めて現実に近づけ、その現実をもっと先に進められるようにする、という提案が出てくるのでしょう。その場合に、「先」というのは、どういう国家のあり方を指すのでしょうか。

●典型例としての教育基本法改正論
 それを明らかにするのが、憲法改正の実質を先取りすることになる教育基本法改正の動き、そして、その法律の改正を先取りしている今の教育改革の――正しくは、教育破壊と呼ぶべき――動きです。
 福岡市や逗子市などでは、6年生の通知票の中で、「国を愛する心情を持とうとする」かどうかをA〜Cの3段階で評価する小学校が現れてきています。小泉首相は、イラクからの自衛隊撤兵を求める署名活動を始めた高校生について、「学校の教育が不十分」と極め付けるコメントを出しました。そして東京都教育委員会は、国歌斉唱時に立ち上がらない教師を処分するだけでは飽き足らず、子どもたちの着席を教師のせいにして「指導不足」の責を負わせる所まできました。
 国家指導者の方針に異を唱えるのは「教育不足」、国家指導者の下した判断に何も考えずに喝采を叫ぶのが国民としての義務、とでもいうことなのでしょうか。東京都教育委員会の議論では、「〈国旗・国歌の尊重を強制しない〉という国旗・国歌法制定時の確認が間違っていた」ことが正面から認められています。もはや教師は、教育委員会が子どもに受け入れさせようと狙う「国民として当然の心構え」に向けた洗脳を施す、マインドコントロールのための機械として扱われ始めています。この日本で、です。

●実質改憲としての教育基本法改正
 教育基本法改正の動きは、こうした教育の現状を踏まえて、これを先に持っていくために必要なステップとして進んでいます。今はまだ、教師に対して権力の刃が向けられているに過ぎません。思想および良心の自由を憲法19条が保障しており、教育の目的が「人格の完成」であると定める教育基本法1条がある限り、もっと直接に子どもに向けて、「愛国心」なり何なりの特定の好都合な考え方を強制することに法的に壁があるからです。
 つまり、教育基本法改正の動きは、思想・良心の自由に例外領域を作り、「国民の義務として持っていなければならない心構え」を認めさせようとする所に本質があるのです。教育基本法の定める教育目的として「愛国心の涵養」が法定化されるようになれば、これは、基本的人権に関わる問題ではないような気になるでしょう。しかし本来、例外領域があるような思想・良心の自由は、その名に値するものではありません。
 ほかにも、家庭の教育支援を十分に受けられない子どもたちの中等教育段階における切り捨てが正当化されたり、教育基本法改正を通じて変化していくことは少なくありません。要するに、国家が国民の権利を実現するために行われていた措置が、サービスとしての側面を切り落とされ、国益の上で都合のいい国民支配の道具として個人に義務づけられていこうとしています。

●国家と個人の関係の転換
 教育基本法の改正によって先取りされることになる国家と個人の転換は、あくまで、もっと大きな流れとして進んでいる転換の一つの例に過ぎません。

 憲法は、個人の権利を守るために、国家権力を制限するものです。ところが、改憲論の中で聞かれる憲法イメージは、「社会の基本法」という理解の下、国民が服従する法的ルールという方向を帯びています。環境保護に対する国家のこれまでの無策を追認したままで、環境を守るための個人の義務を表に立てて国民生活を縛ろうとする「環境権」の発想など、その一例と言えるでしょう。
 国民生活の安全を守り、基本的人権を相互に守るという目的の下で、一人ひとりの国民は監視され、教育されていきます。そして、ひとたび妨害要素と認定されると、徹底した排除の対象になるか、それとも心の底まで行きわたる「再教育」に服するかを選ぶしかない所に追い詰められていくのでしょう。このプロセスが、国民の基本的人権を守るために、というお題目を掲げて実現される所に、本当の怖さがあるように思えます。

●今なすべきこと
 あなたの周囲を見渡したとき、この監視の目、この排除の脅しに思いあたることはないでしようか? 学校で卒業式を前に国歌斉唱の強制に向き合う子どもたちだけではありません。実は、こうした〈踏み絵〉は、すでに社会の様々な場面で作動し始めています。憲法改正は、今の段階で待機電源だけ入っているこうした監視装置を実際に作動させて、実際に人々を傷つける強制作用を営ませるためのスイッチとして機能することになるのです。
 だとすれば、今、なすべきことは何でしょうか。既存政党に期待しても、この段階でさほどの役には立ちそうにありません。それよりも、するべきことがあります。
 権力による監視と教育による国民の奴隷化が進んでいるのです。その兆候は、あなたの周囲に及んでいるはずです。権力が一つの考え方だけを許容するものとして押し寄せてくるその時に、どんな痛みが発生するのか。今、苦しめられている人は声をあげ、自分の痛みを他者と共有しあうことが大切です。そして、他者の痛みに対する想像力を持ち続けること。
 今、問われているのは、どんな社会に生きていたいのか、その社会の中で確保されているべき〈基本的人権〉とはどんな権利なのか、という点なのです。この点について語り合うネットワークを広げていき、強めていくこと以外に、明日につながる途はありません。


◆西原博史(Hiroshi NISHIHARA)さんのプロフィール

 1958年生まれ。早稲田大学教授(博士)。専攻は、憲法学。とくに、良心の自由の問題を研究しており、最近は、愛国心や教育基本法などについての論文や講演も多い。

【主な著書】
『教育基本法「改正」』(岩波ブックレット、2004年)
『学校が「愛国心」を教えるとき』(日本評論社、2003年)
『平等取扱の権利』(成文堂、2003年)
『良心の自由(増補版)』(成文堂、2000年)


 

 
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