樋口健二さんは、自身を「売れない写真家」と呼びます。けしてそれを嘆いているわけではなく、それがこれまでの自身の仕事の自負になっていることは、この映画を見ればわかります。
「ひょっとしたら日本でもっともたくさんの遺影を撮影した人かもしれません」とナレーションにあります。その仕事は、深いたくさんの悲しみと怒りを背負ってきたことが想像できます。
原発労働者の被曝、公害に苦しむ人びと、戦争の傷跡、自然破壊など、報道写真家の樋口健二さんは半世紀以上にわたって写真によって記録してきました。それらの現場で闘う人たちを撮り続けながら、樋口さんもまたその人たちと一緒に闘ってきたことが、このドキュメンタリー映画から伝わってきます。
【映画の解説】報道写真家・樋口健二さん。85歳。川崎の製鉄所の工員時代、ロバート・キャパ展に衝撃を受け、写真の道を志す。大気汚染に苦しむ三重県四日市市、毒ガスが製造された広島県大久野島、国や企業を相手にした原発労働者の被曝訴訟などを取材。まなざしはいつも傷ついた民衆に向けられた。炉心付近で働く労働者を世界で初めて撮影することに成功した。日本人初の「核なき未来賞」を受賞するなど、世界的に評価が高い。半世紀にわたるフォト・ルポルタージュの軌跡を、圧倒的な語りによって振り返る。 (憲法を考える映画のリスト2021年版 作品解説『闇に消されてなるものか 写真家 樋口健二の世界』より)
映画は、次のような構成で、樋口さんが向き合ってきた事件と人たち、彼が追い続けた「闘い」と、その原点となる「怒り」を描いていきます。
・1937年 生い立ち(長野県富士見町出身・母の死・上京するまで)
・写真家を志すまで(日本鋼管工員の時代・写真家キャパとの出会い・写真専門学校)
・1966年 四日市公害取材
・毒ガス島(大久野島)取材
・1974年 原発の中で働く被曝労働者の差別(福井原発取材)
・1999年 JOC臨界事故(東海村)
・2001年 アイルランド・カーンソー岬(「核のない未来賞」受賞)
・2011年 福島第一事故
・2017年 妻の節子さんの死
・写真学校の生徒たちに、学生たちに
写真家としての樋口さんの活動をたどっていったときに、公害の被害者や原発労働の現場で差別を受け被害を受けている労働者などとして闘っている人の中にあって、彼らを撮影の対象として捉えるだけでなく、共に闘うという立場を明確に持ち続けているということを痛感します。
はじめて四日市公害の被害の撮影をした時、土地の青年から「おまえらのおかげで、俺らが結婚もできねえんだ。いい迷惑だ、余計なことしないでくれ」と罵倒されます。しかしそれに対し樋口さんは「被害者が大きな声をださないと、あんた方が勝てるなんてあり得ないんだぞ」と逆に迫ります。
「毒ガスの島」である大久野島の被害者を取材し、そこで被害者の治療に当たっている医師の行武正刀さんから「樋口さん、この問題をやってくれませんか?」と言われます。自分にできるか真剣に悩み、結果、それを引き受けることになります。
はじめて原発労働者の被害に対する損害賠償の裁判に起こした岩佐嘉寿幸さん。奥さんから「おとうちゃんがやらなかったら誰が(この闘いを)やるの」と説得されて裁判闘争を始めたというエピソードが紹介されています。この言葉を我がことと捉えた樋口さん自身、常に突き刺さる言葉であったのだと思います。大阪大学医学部で6ヶ月かけての検査に基づく診断(放射線腎盂炎/放射性リンパ浮腫)をいとも簡単につぶしていった裁判に対して「いつか岩佐さんの仇をとる」と誓った樋口さんの信念は、まさに国家や大企業から理不尽な攻撃、仕打ちを受けた人々に共に闘うことを呼びかけ行動した姿そのものが見えてきます。
共に闘うこと、それを「協働」という言葉を樋口さんは使っています。それは奥さんの節子さんとの生き方の中でも使われています。写真の仕事がようやく収入を得られるようになり出した時、節子さんは樋口さんに言います。「お金になる仕事に追われては(あなたの)魅力が無くなっちゃう。やりたいことをやっているときがいちばん生き生きとしている。だからやりたいことに専念したらどう?」その言葉で、樋口さんは自分がどんな仕事をやっていくのか、しっかりと決まったと言います。
そのことはまた、写真学校の生徒やジャーナリストをめざす学生たちにも一貫して語られます。今も自分の作品を樋口さんに見てもらってその指導を得るために通っている教え子の一人は「あきらめず何十年もかかってやってこい」と言われた言葉がいちばん響いたと言います。このように樋口さんの今までやってきた一連の仕事、今も取り組んでいる写真の仕事にも「伝達していくことの重要性」を感じさせるものがあふれ出ています。
このドキュメンタリー映画の監督の永田浩三さんは、復帰前から沖縄の問題の報道を続けた森口豁さんの仕事を描いた『命 (ぬち)かじり 森口豁 沖縄と生きる』でも、同じテーマを捉えていますが、きっとジャーナリストとしての立ち位置と姿勢の問題は、永田さん自身の強い問題意識なのだろうと感じました。それがこの映画の中でも樋口さんの言葉で語られています。
大学での授業の中で、樋口健二さんは学生たちに、次のように「ジャーナリストとは?」について話します。
「ジャーナリズムは、ただひたすら事実報告するだけで、本質は見えてきませんから疑ってかかるように。ジャーナリストにとって一番重要なことは、ジャーナリストの前に人間でなければいけないということ。差別は絶対にしてはならない。むしろ差別される側に自分を置いてみないと、真実は見えてきません。」
樋口さんの仕事の本質、写真を撮る姿勢・態度がそこにあるということを示しています。
「国家や大企業と闘う、理不尽さを問うこと、表現の自由とはそういうことだと思う。背中を向けたらおじゃんなんだよね。動物と同じ。人間も。小さいけど集団でうわぁーとライオンに向かっていったら、ライオンが逃げてった映像があったよね。動物見て下さい.野生動物。背中を見せない。毅然としている。堂々と真実を追究していったら、自分を信じるしか無いじゃないですか。誰が何と言おうと。そういう意気をもっていれば、正しいジャーナリストになれるね。」
きわめてきびしく、しかし元気の出るドキュメンタリーです。
【スタッフ】
撮影・監督:永田浩三
編集・選曲:高野保
取材:田島和夫 大崎文子 野口明 野村瑞枝 松下光雄
制作:第10回江古田映画祭実行委員会(大島ふさ子 小川陽子 川村紗智子 岸間健貧 粟野カツ子 小松原美佳子 佐藤千津子 鈴木しのぶ 瀬島君江 橘優子 谷口紀昭 戸田桂太 二瓶錦也 坊理可 松井奈穂 松井和子 村山敦子 八木多加子)
英語翻訳:藤田早苗
写真提供:安世鴻
絵画提供:岡田黎子
【出演者】
樋口健二
岡野昭一 広瀬敦司 木下浩一
野村瑞枝(ナレーション)
2021年制作/80分/日本映画/ドキュメンタリー
【上映情報】
第2回憲法を考える映画の会@国分寺(東京・国分寺市)
日時:2022年7月17日(日)13:30~16:40
会場:国分寺リオンホール Aホール
プログラム:
13:30 ドキュメンタリー映画『闇に消されてなるものか 写真家樋口健二の世界』
15:00 トークシェア:樋口健二さん 永田浩三さん
参加費(会場費・資料代)1000円 学生・若者:500円
問合せなど:憲法を考える映画の会(TEL:042-406-0502 Email)