映画『コレクティブ 国家の嘘』(原題:Colectiv 英題:COLLECTIVE WE‘RE ALL IN THIS TOGETHER)
今までに見たドキュメンタリー映画の感覚とは違っていました。それにまず驚かされました。映画を見ながら、「チラシにはドキュメンタリーって書いてあったはずだが」と何度も想い返しました。まず、カメラの立ち位置。政府の不祥事を告発する新聞社のオフィスの内部であっても、保健省大臣の執務室での深刻なデスカッションの場であっても、話す人を堂々と正面から捉え、カメラは「自由に」その部屋の中を動き回っています。被写体の人々は、まるでカメラなんて存在していないような「名演技」で真剣に話し、入ってきた情報に衝撃を受け、悩む姿を見せます。しかしこれは「やらせ」でも、「再現ドラマ」でもない、権力の腐敗を告発する同時進行の記録映像です。
このカメラの「自由さ」は、当事者(ここではスポーツ紙の記者と、彼らの告発の結果、新しく赴任した保健省大臣)と取材者の間に確たる信頼があるからと、わかってきました。おそらくそれは「一緒に真相を解明しよう」「より望ましい社会に変えて行くには何が必要か」という認識を共有する連帯感からできたものなのかもしれません。
【シノプシス(あらすじ)】
2015年10月、ルーマニア・ブカレストのクラブ“コレクティブ”でライブ中に火災が発生。27名の死者と180名の負傷者を出す大惨事となったが、一命を取り留めたはずの入院患者が複数の病院で次々に死亡、最終的には死者数が64名まで膨れ上がってしまう。 カメラは事件を不審に思い調査を始めたスポーツ紙「ガゼタ・スポルトゥリロル」の編集長を追い始めるが、彼は内部告発者からの情報提供により衝撃の事実に行き着く。その事件の背景には、莫大な利益を手にする製薬会社と、彼らと黒いつながりを持った病院経営者、そして政府関係者との巨大な癒着が隠されていた。 真実に近づくたび、増していく命の危険。それでも記者たちは真相を暴こうと進み続ける。一方、報道を目にした市民たちの怒りは頂点に達し、内閣はついに辞職へと追いやられ、正義感あふれる保健省大臣が誕生する。彼は、腐敗にまみれたシステムを変えようと奮闘するが…。(『コレクティブ 国家の嘘』公式ホームページ「SYNOPSIS あらすじ」より)
まるで、医療不正あるいはそれを許していた汚職構造、それを解明しようとするジャーナリスト、あるいは健全な医療の復活を目指す官僚のスタッフの一員がカメラをもって活動に参加していたかのようです。それほど一連の追求行動との距離感、ディスタンスがありません。
映画のパンフレットの監督インタビュー、プロダクションノートから、監督のこの作品を作る上でのねらいと意志がしっかりと意識されていることがわかります。その中からいくつか。
「撮影中は被写体のすべての瞬間を見つめ続けることを意識しています。私が求めているのは、登場人物の瞬間的な感情を切り取るような、その人物の内なる世界を表現してくれるような映像です。そしてもうひとつ気をつけているのは、観客が撮影者の存在を忘れてしまうほど自然に、登場人物とつながりをもつことです。」
「この映画では告発者、ジャーナリスト、被害者たちといった人たちが繫がっています。この映画を見て学べることは、みんなが一つにならなければ、一人ひとりがこの社会に貢献しようと考えなければ変化は訪れないということです。ほんの数人だけが社会を変えようと頑張っても、それは決して実現しないのです。」
この映画を見ていると、遠い国の出来事とは思えません。どうしても、今の私たちの当面している政治や社会状況、それに対し「何とかしなければ」と思っている市民の気持ちと重なります。さらに言えば「嘘をつく国家」に対して、メディアやジャーナリズムや市民の運動がどうそれをあばき、不正をただし、政治をまともなものにしていくことができるかという課題に重なります。
勇気ある告発、その結果、権力者を退陣に追い込むまでのジャーナリストの闘いを描いた映画は今までも、他にあります。この映画がすごいのは、権力の内側、つまり官僚たちの中まで入り込んで、政府を退陣に追い込んだ後、どのように変革が進められたか、進めようとしたか、あるいはそれが成し遂げられなかったのか、それはなぜか、というところまで追いかけて問題提起をしているところです。
新しい保健省大臣、彼は金融スペシャリスト、医療にも関連した福祉慈善家という民間の出身で、政治家をやってきた人間ではなかったからこそ、その言動に制約を受けなかったといいます。それがそれまでの秘密主義と隠蔽を破り、行政の内部を明らかにすることができ、この映画のカメラが執務室の中にまで入ることに繫がったのでしょう。別な言い方をすれば、そのような民間の(既成の政治にしがらみのない、リベラルで柔軟な判断のできる、変革を実行しようとする強い意志を持った)行政の責任者を入れざるを得なかったところまで追い詰めたジャーナリズムや市民の運動があり、強く押し込んだ、と言うことができます。
フレッシュな変革の意志を持った保健相大臣はそれなりに奮闘します。それでもなお、変革は八方ふさがりの状態に陥ります。それをまたカメラは余すところなく捉え、伝え、それがなぜなのかを私たちに考えさせます。多くの事例がそうであるように「熱意をもって改革にあたるヒーローが現れたから安心してそれを見守ろう」ではないのです。
ここでのそうした挫折自体が、これから、よほどねばり強くやっていかなければならないと、教えてくれる生きた材料になります。我々の状況においても。
「社会を変えていけるとしたら、結局その主体は政治家やジャーナリストといった一握りのスーパーヒーローではなく、私たちひとりひとりなのだという視点である。」(映画パンフレット“COLUMN”相田和弘さん)
【制作スタッフ】
監督・撮影:アレクサンダー・ナナウ
製作:アレクサンダー・ナナウ ビアンカ・オアナ ベルナール・ミショー
ハンカ・カステリコバ
ドラマツルギー(脚本):アントアネタ・オプリ
編集:アレクサンダー・ナナウ ジョージ・クレイグ ダナ・ブネスク
音楽:キャン・バヤニ
【登場人物】
カタリン・トロンタン(調査報道記者・スポーツ記者)
カメリア・ロイウ(ブカレスト大学病院の麻酔医)
テディ・ウルスレァヌ(建築家)
ヴラド・ヴォイクレスク(金融スペシャリスト、慈善家、保健省大臣)
ナルチス・ホジャ(エンジニア)
配給:トランスファーマー
2019年製作/109分/ルーマニア・ルクセンブルク・ドイツ合作/ドキュメンタリー
上映情報:ヒューマントラストシネマ有楽町、シアターイメージフォーラム他全国上映中