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シネマde憲法

アニメーション映画『フナン』(原題:FUNAN)

 花崎哲さん(憲法を考える映画の会)


  冒頭のシーン。子どもを中心にしたごくありふれた家族のおだやかな日常、そこに忍び寄る不安な影。この展開のアニメーション、どこかで見たことがある、そう考えて思いつきました。アニメーション映画『ピカドン』です。もちろんそちらは「影」などというものではなく一瞬の「光」。こちらは「革命政権」とは名ばかりに終わった強権恐怖の独裁政治。暴風のように、たくさんの家庭を壊し、家族を奪い、多くの人の生活と生命を奪っていきました。

(あらすじ)
 1975年4月のカンボジア。武装組織クメール・ルージュによるプノンペン制圧のニュースを境に、多くの住民が強制労働のため農村に送られる。一家で農村へ移動する道中、チョウは息子のソヴァンと離れ離れになってしまう。農村での苛酷な労働や理不尽な扱いは、彼女と夫クン、そして共に生活する家族を追い詰めていくが、最愛の息子を取り戻すためチョウは何があってもあきらめずに生き延びていく。(映画.com「フナン」解説より)

 7年前にカンボジアに行ったことがあります。プノンペン郊外のポルポト政権が虐殺を行ったという場所に行きました。南の国の暑いはずの土地なのに、そこはひんやりとした空気を感じました。プノンペン市内の記念館には、当時、殺されたたくさんの人の顔写真が掲げられていました。子どもも、老人も、女性も、それぞれの名前と共に。しかしそれらよりも、この映画はここで起きたことの重大さをとらえていて、さらにさまざまなことを想像させます。それはきっと、一つの家族から見た悲惨な4年間を描き、子どもを探し続ける親の気持ちを描いていたからでしょう。
 「何でこのようなことになってしまったのだろう。」それは、この映画の中のすべての人の思いであると共に、この映画を見ている私たちの誰もが思う疑問でしょう。

 映画は、農村への強制労働に追い立てられた家族と人々を追います。クメール・ルージュ(この時期、カンボジアを支配した政治勢力、および武装組織の俗称)がめざす階級差の無い原始共産主義では、都市住民を敵と見なし、家や財産を剥奪、農村に強制移住させ、都市文化を否定しました。インテリは殺され、教師が殺され、最後はメガネをかけているというだけで殺されたと言います。
 ただ映画では、そのクメール・ルージュが悪かったと言っているのでなくて、その武装勢力の兵士にも「どうしてこんなことになってしまったのだろう」という悲しさが感じられる描き方をしています。

 虐殺や強制労働だけでなく、横暴をきわめた武装組織は、人々を従わせるためのあらゆる形で暴力を制度化していきます。中でも怖いと思ったのは子ども達のことです。子ども達を親から離し、子ども達だけで集団生活をさせ、軍事教育をし、弾圧の忠実なマシーンのような存在を作ろうとしました。映画の中でも、離れ離れの4年の後、やっと探し当てた息子がどこか無表情で、親子の空白の4年間の間に、教え込まれた別のものが詰まっているのではないかと親が戸惑う表情を見せるところがありますが、そのように子どもをしてしまうところが、ほんとうに怖いと思いました。
 子どもをこのように仕込んでしまう政治は、どこから始まったのでしょう。1960年代の中国の文化大革命の時に、子ども達を紅衛兵として称賛し、大人たちをも自己批判を迫りつるし上げる、ということが中国全土ですごい勢いで起きていたことがありました。あるいは現在においても、たとえば「イスラム国」とか、アフガニスタンとか、スーダンとか、大量虐殺が起こるようなところでは、子どもや若者が洗脳・教育されて殺戮の、あるいは自爆テロのマシーンになっています。そうしたことは終わっても、反省もされないまま繰り返されています。日本だって同じです。教育によって戦場に向かわせ、人を殺し、また中国や朝鮮への蔑視を教え込んで、その殺戮のマシーンの兵士にしていったことに何のきちんとした反省もしないままではないですか。それが軍隊そのものの本質なのでしょうか。

 「1975年5月」と、時の経過をテロップが何回か出てきます。そのたびに私は、その時、自分は何をしていたのかを思いだします。遠い昔の話では無い、自分たちも学生や若者であった40年前のことです。思えば大虐殺が行われたことを自分たちは何となく聞いてはいても、何もそれ以上に知ろうとはしなかった。そしてそれは歴史の中のこととして終わったことでは無く、現在も世界の各地で続けられていることです。難民とはこのようにして生まれ、人々は国を捨ててくるのか、国とはこの場合何なのか、いろいろ想像させられ、気持は沈みました。

 アニメーションとして、キャラクターの表情の作り方は、カンボジアの人がもともとそうなのか、ちょっと古風な感じでしたが、その背景にあたる自然の描写、とくに夕景の田園、雲の動きなどは、息をのむ美しさです。それだからこそ、こうした舞台で繰り広げられた「悲しみ」と「無慈悲」と酷薄さがやりきれないものとして迫ってくるのかもしれません。
 作家のドゥニ・ドー監督は、話を母親の体験から脚本にしたそうです。「ひとりの女性…私の母の物語です。母は、クメール・ルージュ統治下で犠牲を払い、心を砕かれながらも生き延びたのです。凄まじい弾圧の中で息づく感情や人間関係、人と人とのつながりの複雑さを探求したのです。善悪がテーマではありません。苦しみ疲れ果てた普通の人々の生き様を感じ取っていただきたいのです。」(映画『フナン』パンフレットより)

【スタッフ】
監督・脚本:ドゥニ・ドー
アートディレクター:ミッシェル・クルーザ
音楽:ティボー・キエンツ・アジェイマン
編集:ローレン・プリム
エグゼクティブプロデューサー・プロダクションマネージャー:アルノー・ブラール
プロデューサー・キャスティングディレクター・ボイスディレクター:ステファニー・シェー
サウンドミキサー:ピエール・アレティーノ
フォーリーアーティスト:ベルトラン・ブドー
エンディングソング:レベッカ・ファーガソン

【キャスト(声の出演)】
ベレニス・ベジョ(チョウ)
ルイ・ガレル(クン=チョウの夫)
ブライス・モンターニュ(メング=君の弟)
リラ・ラコンブ(リリー=チョウの妹)
ティリー・ジャン(ソク=クンのいとこ)
オード・ローレンス・クラーモント・ビバー(チャン=旧人民の女)
エミリエ・マリー(パウ=監視役の女)
セリーヌ・ロンテ(チョウの母親)

2018年製作/87分/フランス・ベルギー・ルクセンブルク・カンボジア合作
配給:ファインフィルムズ
第42回アヌシー国際アニメーション映画祭グランプリ受賞
エミール賞2018脚本賞、サウンドデザイン賞

公式サイト
予告編
上映情報
シネ・リーブル池袋、YEBISU GARDEN CINEMA、横浜シネマリンほか上映中


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