映画『ヒトラーに盗られたうさぎ』(原題:When Hitler Stole Pink Rabbit)
ヒトラーで始まる映画の題名ですので、題名以外に何の予備知識も持たないで映画を見始めた私は、きっと『アンネの日記』のようにアウシュビッツなど悲惨な話が映画の最後の方に出てくるのではないか、とハラハラしながら映画を見ていました。あどけない、かわいらしい子どもたちの話だからこそ。しかしその思い込みは幸いにも外れていました。
それでも、戦争やファシズムが日常の中に忍び寄ってくる息苦しさ、家族の逃避行の間じゅう「家族を失うことになるかもしれない」という子どもとしての不安がしっかりと伝わってきます。その不安と困難を、家族がお互いに励ましながら、時にユーモアを持って乗り越えていく間に流れる温かいものとその前向きさに救われ、励まされる思いがしました。
【Story】
1933年2月。ベルリンに住む9歳のアンナ・ケンパーは、兄のマックス・ケンパーと共にカーニバルを楽しんでいた。その夜、父と母が深刻な顔で話し込んでいた。平和な家族の風景が、その夜から大きく変わっていく。
翌朝アンナは「家族でスイスに逃げる」と母から突然告げられた。新聞やラジオでヒトラーの批判を続けていたユダヤ人の父は、次の選挙でヒトラーが勝ったら反対者への弾圧が始まるという忠告を受けていた。アンナは、大好きな“ピンクのうさぎのぬいぐるみ”やお手伝いさんのハインピー、食卓、書斎、ピアノ、台所…と一つ一つに別れを告げて大好きな家を離れる。
スイスでアンナはすぐに近所の女の子と大の仲良しになり、生活に馴染んでいく。しかし、訪ねてきたユリウスおじさんから、ベルリンの家のものはナチスが何もかも奪っていったことや、強制収容所のことを聞かされる。家に残していった大好きな“ピンクのうさぎのぬいぐるみ”もヒトラーが奪ってしまった。……
(公式サイト『ヒトラーに盗られたうさぎ』Storyより)
忍び寄ってくる不安を子どもがどう感じ取っていたのか。
「どうなるのか、誰にもわからない」という不安は、今のコロナ禍の社会不安にも重なります。そしてその不安はコロナ禍だけで無く、いま私たちを取り巻いている、政治・社会状況の息苦しさにも思いが行き着いてしまいます。とくに弱いものにそれらは襲ってきます。そしてそのことに多くの人が気付かないか、関心をもたない、それだけでなく、勢いのあるもの、権力に寄り添って人を疑い、陥れることに喜びを感じるようなヘイトスピーチをしたがる人たちなどにも感じられます。
映画の中の、主人公の家族を怪しみ、家の中をのぞき込み、密告することを喜びと感じているような隣近所のおばさんの表情に、ゾクッとするものがあります。かつてそういう人たちが権勢を振るい、今も人々の心の中にそういう根があることを感じるからです。
ナチスから逃げ、追われ、転々とする主人公一家。ともすれば不安と絶望に、気持ちが壊われてしまいそうになる中で、家族同士、つらく悲しいこと、さびしいこともあるけれども、励まし合って生きています。とくに両親の子どもたちに対するいつでも暖かく、落ち着いて接する態度が素晴らしいです。そうした「当時自分たちの存在を愛し守ってくれた両親に感謝しきれない、その感謝の気持ちで、この絵本を描いた」と、原作者のジュディス・カーは言っていますが、その視点、子どもの「私」がその時、感じ、考えたことが、きっとこの映画の基調になっているのでしょう。
随所に語られる子どもに対しての親の言葉のひとつひとつが的確で、子どもの話をしっかりと受け止めてごまかすことなく答えています。子どもたちに話しかける言葉が親自身の自分の生き方や考え方をハッキリと伝えています。「明るい絵が描けないの」「周りは気にするな、感じたものを描けばいい」「君の心には光がともっている」
子どもたちもけなげです。「(偉人伝を読んで)有名人は子どものころ苦労している、だから私たちもきっと有名人になるわ」などと言ってのけます。
9歳の女の子の演技がまた素晴らしい。兄さんのマックスも、妹を励ましながらきちんと自分のものを考えているところが伝わってきて好感を持てます。
子どもたちは演じているというより、その境遇の中に自分を置いて、感じ取ることを地で行っている感じです。この役を演じた8歳のリーヴァ・クリマロフスキは、役に選ばれる前にすでに原作を読んでいて「私はこの本が大好きで、アンナのことも大好きだったので、アンナ役をやりたいと思いました。」と言っています。その意志ははっきりしています。
映画を見て感じたこと、すてきな親たち、すてきな子どもたち、家族。いい子で、いい親たち。苦しくてもお互いが励まし合っています。でも「彼らは恵まれていた」というわけではありませんが、そうした家族がほかにも無数にあったにもかかわらず、あのファシズムと戦争の中で、その多くが失われてしまったことを想像せざるをえませんでした。そしてそれは世界の各地で、今も続いています。それに対して何ができるのか。
昨年、映画の完成を見ずに亡くなった原作者ジュディス・カーの言葉です。「この本を書いたきっかけをお話します。子どもたちにヒトラーの時代に生きるということはどういうことなのかを知ってもらいたかったのです。私たちの家族には、例えばアンネフランクのようにひどいことは起きませんでした。それだからこそ、この物語がより多くの子どもたちに届いたのだと感じます。」
【キャスト】
リーヴァ・クリマロフスキ(アンナ・ケンパー)
オリヴァー・マスッチ(アルトゥア・ケンパー=父)
カルラ・ユーリ(ドロテア・ケンパー=母)
マリヌス・ホーマン(マックス・ケンパー=兄)
ウルスラ・ヴェルナー(ハインピー=お手伝い)
ユストゥス・フォン・ドナーニー(ユリウスおじさん=叔父)
アンヌ・ベネント(マダム・プリュンヌ)
ベンヤミン・サドラー(ハインツ・ローゼンフェルト)
【スタッフ】
監督・脚本:カロリーヌ・リンク
脚本:アンナ・ブリュッグマン
プロデューサー:ヨヘン・ラウベ ファビアン・マウバッフ
編集:パトリシア・ロンメル
撮影:ベラ・ハルベン
美術:スーザン・ビーリング
衣装:バルバラ・グルップ
録音:チャンギス・チャーロック
音響:オスヴァルト・シュヴァンダー
メイクアップ:ナニー・ゲブハルト・ゼーレ
音楽:フォルカー・バーテルマン
配給:彩プロ
2019年制作/ドイツ映画/119分
【上映情報】シネスイッチ銀座、USシネマ千葉ニュータウン、柏キネマ旬報シアター、シネリーブル梅田で上映中、以降全国上映