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シネマde憲法

映画『異端の鳥』(原題:The Painted Bird)

 花崎哲さん(憲法を考える映画の会)


 この映画の中で、少年は、自分の置かれた情況をどう受け止めたらよいのか途方に暮れ、自分に次々と襲いかかってくる暴力と排斥に、どうしてこのような不条理な目に合わなければならないのか、とまどい、耐えることから次第に怒りに変わっていきます。映画を見ている私たちも、自分がそうしたわけのわからない虐待を受ける痛みを感じながら、途方に暮れ、混乱し、身の危険をどうしたら逃れ、生き続けられるのかを考えることになります。
 理屈ではなく、どうして自分が「排除」されるのか、身をもって感じさせられます。

【ストーリー】
 東欧のどこか。ホロコーストを逃れて疎開した少年は、預かり先である一人暮らしの老婆が病死した上に火事で家が消失したことで、身寄りをなくし一人で旅に出ることになってしまう。
 行く先々で彼を異物とみなす周囲の人間たちの酷い仕打ちに遭いながらも、彼はなんとか生き延びようと必死でもがき続ける―。

 やはり、これは何十年も前の遠いところでの話ではないのです。極端な形ではありますが、人々の「悪意」のその底に潜む「異端視」や「分断する気持ち」には、今の社会に通じるものがあります。

 この映画の原作になった小説の異様なまでの残酷さは、実は三重に積み重ねられていると言います。一つ目は、東欧の田舎の、純朴とはいえ、迷信深く、野蛮な農民たちの偏見とすさまじい暴力、二つ目は、ナチスドイツ支配下でユダヤ人に対して振るわれた組織的暴力。そして三つ目が、ソ連軍がナチス・ドイツに協力した村人たちに振るった、やはり非人間的な暴力です。なかでも、今の目で見ると、むしろ一番問題なのは、第一の面かもしれません。これは戦争や思想的対立とは無関係に説明の付かない根源的な恐怖として少年に襲いかかってくるからです。(映画『異端の鳥』パンフレット・沼野充義さんの文章より引用)
 そこには、人間がそんなにも簡単に、自分たちと違っている者、そして弱い者に対して野蛮な暴力を振るうようになることが映し出されます。「自分たちと違う者」を排除すれば、こちらが安全になると考え、私たちは「普通」だが、異端側は「悪」だと信じてしまうのです。

 二つ目、三つ目の暴力と排斥は、戦争や紛争がその原因の背景を感じさせます。映画の中の少年の彷徨を見ていて、戦後すぐ焼け跡に「浮浪児」と呼ばれた言葉があったことを想い出しました。戦争(空襲)で親、家族、身内を亡くし、住むところもなくなったストリートチルドレン。この映画の少年はまさに「浮浪児」であるなと。家に帰る、親のいるところに行くあてのないさすらいです。『あの日の声を探して』という映画も戦争孤児、浮浪児の話でした。あれはチェチェンでしたが、シリアとか、イラクとか、スーダンとか、戦争と紛争があるところで数限りなくあるのだろうと想像します。
 監督の言葉に次のような言葉があります。「少年は戦争を生き抜き、荒廃したヨーロッパをさ迷い、両親を失った数十万人の代表であり、ある種の象徴だ。そしてそれは今、世界中で軍事紛争が進行している場所どこでも同じである。」

 ナチスがユダヤ人狩りをしたときに、その周りにいた人はそのことにどのような態度をとったのか?日本でも戦争中、「外国人」など異質な人たちに一般の普通の人たちはどのような目を向けていたのか、朝鮮人や中国人に対してどのような目で見ていたのか、彼らをおとしめたり、あざ笑ったりする人々に対して、まわりの多数の「普通」の人たちはどのように接していたのか。そこにあった「群集心理」は反省も、それが何だったのかと明らかにすることも、改まってもいないままではないか。戦争責任そのものと同じように、そんな風に考えました。
 異物である少年を徹底的に攻撃する「普通の人々」、戦争映画でもホロコースト映画でもなく時代を超越した普遍的な物語だと感じるのです。

 映画の画面は、モノクロでありながら、というよりモノクロを選択したがゆえに、絵画を見ているような、あるいは写真展の写真を見ているかのように美しく静謐です。残酷な暴力場面が続くのに、自然はあくまで静かで美しい。
 何より感心するのは、この映画が伝えたいと思うこと、単にストーリーだけでなく、表したいことをもっとも的確な表現方法を選ぶことに徹底していることです。敢えてフィルムを使う、敢えてモノクロ表現にする、音楽もナレーションもない、そのことで、鳥のさえずりや動物の吠え声、あるいは森の木々が風にそよぐ音など、その場の音に包まれることになります。子どもの成長と変化をそのまま映画の展開に活かしたという撮影の「順取り」。川の流れの速さに合わせたという編集。この作品を表すために選ばれた表現方法、手法が徹底して的確なのに驚いてしまいます。

 極端で、ある意味、嫌悪すべきこの映画に描かれた世界は、その底にあるものを明らかにし、確認して、正体をつかまないと、また同じ事が起きてしまうことを予感させます。いや、今も起き続けていて、それが放任されている恐さがあります。
「大人には過去があり、それを認識していると同時に、未来を想像することが出来る。しかし子どもは、未来を全く想像が付かない。」途方に暮れ、自分に降りかかってくる不条理な暴力に顔を歪める少年の顔がもう一度、浮かんできます。

【スタッフ】
ヴァーツラフ・マルホウル(監督・脚本・製作)
イェジー・コシンスキ(原作)
ウラジミール・スムットニー(撮影)
パヴェル・レイホレツ(音響)
ヘレナ・ロヴナ(衣裳)
イヴォ・ストラングミュラー(メイクアップ&ヘアーデザイナー)|

【キャスト】
ペトル・コトラール(少年)
レフ・ディブリク(レッフ)
ステラン・スカルスガルド(ハンス)
ウド・キアー(ミレル)
イトカ・チュヴァンチャロヴァー(ルドミラ)
ハーヴェイ・カイテル(司祭)
ジュリアン・サンズ(ガルボス)
バリー・ペッパー(ミートカ)

配給:トランスファーマー
2019年/チェコ・スロヴァキア・ウクライナ合作/スラヴィック・エスペラント語・/169分/シネスコ/モノクロ

公式ホームページ
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