【「わたし」という主語へのこだわり】
映画の題名としては「わたしは…」という言い方はあまり多くありません。「私たちは…」ではなく、敢えて『わたしは…』をこの映画の題名にしたところに、この映画の求めているもの、めざしているものがあると思います。
登場するひとりひとり、たとえば「フクシマで原発から半径20キロ圏内からの避難を強いられた深谷敬子さん」「原発事故後、沖縄に『逃げ』、そこで辺野古反対の運動に加わった窪田美奈穂さん」「在日コリアンを研究し、日朝学生交流に参加した仙道洸さん」「ヨルダンで『国境なき子どもたち』の活動として子どものたちのこころのケアを行っている松永晴子さん」……、他にもそれぞれの「わたし」の声を聞き、そう考えるに至ったものは何かを聞き、それらを「わたしは分断を許さない」と、まとめています。
つまり、この映画の監督でジャーナリストの堀潤さん自身が「わたし」として一個人から「分断」について考えようとするこだわりであり、その「覚悟」のようなものがこの題名、そしてこの作品そのものなのだと思います。
同じような「わたしは…」へのこだわりの話を聞いたことがあります。TVドキュメンタリー番組『言わねばならないこと(http://jicl.jp/cinema/backnumber/20190708.html)』を作った北陸朝日放送の黒崎正己さんからです。黒崎さんは、「テレビ番組などではナレーションで、よく『私たちは…』と言いがちですが、この作品のナレーションでは『わたしは…』で通しています。」と言っていました。『私たちは…』と、あえて言わないところに、ある意味で局の立場ではなく(だから、介入されることもなく)、自分の考えとして、責任をあいまいにしないためにも必要なことというわけです。
確かに、私たち自身も、市民活動や市民運動などでの抗議、アピールの主語として「私たちは…」という言葉をあまりに使いたがることに気がつきます。「きっと同じような考えを持っている人は多いはずだ」といった期待を持って。
「分断」の反対語は何でしょうか?「連帯」でしょうか。「連帯」あるいは「共闘」などという言葉も、同じような差別や苦しみの中にあるものが、それぞれの中にある共通のものを確認して一緒にやっていこうとするものに使われる言葉です。その「連帯」という言葉にさえ幻想があり、自分の片思いの押しつけがあります。個々が何をどう考えて一致点があるかどうか確認しないで、希望あるいは不満からだけ漠然と集まろうとするから、それらはいっときの声に終わってしまうのではないでしょうか。
【なぜ「分断」が起きるのか?その舞台】
このドキュメンタリー自身が問うているのは「なにが分断を許しているのか」あるいは「なぜ分断が起きるのか」であって、個別の問題そのものの解説ではありません。その中にある「わたし」がどのような「分断」に晒されて、それをどう感じ、どうしようとしているかを描いています。そこで取り上げられている舞台から紹介しましょう。
・香港 未来の民主主義を守るデモ
・福島県郡山市 復興住宅 生業と故郷を離れて
・東京出入国在留管理局「ナンミン」として生きること
・沖縄
・カンボジアの「中国化」 一帯一路構想の陰で
・70年続く緊張 パレスチナ ガザ地区
・朝鮮民主主義人民共和国
【分断を生み出しているものは何か】
この映画の中で「分断とはどういうことなのか」「なにが「分断を生み出しているか」を考える上で、わたしが一番、腑に落ちたのは、福島原発事故後の避難に対する賠償金をめぐって、住民の間に起こった「賠償を受けられる」人と「受けられない」人の間の亀裂の話です。そこの所を掘潤さん自身が書いているものから引用させていただきます。
「避難指示を受けた人々に対して、事故を起こした東京電力は、国の指針に基づき賠償金を支払った。しかし、賠償を受けられる、受けられない、また金額の大小で細かいグルーピングが行われたことから、被災者の受入れ地となったいわきでは、本来助け合って暮らしていくべき住民の間で分断が深まっていった。いまもなおその溝は深まりつつある。」
映画の中では、賠償を受けた深谷敬子さんが、近所の人やタクシーの運転手にまで、「お金をもらって、あんたはいいよな」といった嫉みやそねみに晒されたときの気持が語られます。
そして堀潤さんのコメントの続きです。
「フェイクニュースの頻発、極右勢力の台頭、SNSを始めとしたネット言論のぶつかり合いなど、新たな勢力地図の中で世界中の人々が翻弄され、分断される流れは、日に日に加速しているように感じられる。そして残念ながらその分断を生み出し、加速していく様子を、都合良く笑いながら眺めている人々がいる。」
そうした身近な「嫉み」「そねみ」による分断と根が同じ所に「ヘイト」があり、排外主義があり、バッシングがあり、炎上があり、それらが魔女狩りのような力になっていく怖さを感じました。
【ジャーナリズムの問題】
そしてそれらは、ジャーナリストである堀順さん自身の自分の問題であり、マスメディアあるいはジャーナリズムのいまの問題につながるものです。
むのたけじさんの言葉を引いて、ジャーナリストの、またメディア企業の「自主規制」こそが問題だと投げかけています。
だからこそ堀順さんのこの言葉に救わられ、力づけられました。
「そして何より、僕の発信を受け止め、見てくれる人たち、そしてその人たちと語り合うことができる場がある。彼らからのフィードバックでたくさんのことを教えてもらうことができる。」
私たちも、ひとりひとりがそれぞれ考えることのできる映画を選んで、上映後、語り合うことにこだわって「映画の会」を続けて行こうと思うのです。
【スタッフ】
監督・撮影・編集・ナレーション:堀 潤
スチール提供:Orangeparfait
取材協力:JVC・日本国際ボランティアセンター、KnK・国境なき子どもたち
2020年制作/日本映画/105分
配給:太秦株式会社
【登場人物】
陳 逸正(香港で生まれ育った24歳の青年。香港の民主主義を守るためのデモについて危険を顧みず、名前、顔を明らかにして語る。19歳の時、雨傘運動に参加)
深谷 敬子(福島県富岡町で美容師を営んできた。原発の事故で半径20キロ圏内にあたる富岡町から避難を強いられた)
チョラク・メメット(クルド独立運動の支援者に対するトルコ政府の迫害から逃れるため日本の親族を頼って来日。難民申請は認められず施設に収容されてしまった)
久保田 美奈穂(原発事故後、被ばくの心配ない生活を求めて子どもたちと沖縄へ移住。辺野古への基地移設に反対する人々と出会う)
大和田 新(元ラジオ福島アナウンサー。東日本大震災の現場での体験を、講演を通じて語り続ける)
安田 純平(フリージャーナリストとしてクルド人地域、サマワなど中東を取材。シリアの武力勢力によって拘束され、2018年10月に解放されるまで3年間自由を奪われた)
エルカシュ・ナジーブ(シリア生まれ、1997年に来日。東日本大震災以降、東北を集中的に取材、アラブ諸国やヨーロッパのメディアに情報を配信続けた)
仙道 洸(学生交流で平壌を訪れたことがきっかけとなり、大学院で大阪生野区、鶴橋の在日コリアンについて研究を行っている)
松永 晴子(美術教員としてベトナムで働いた後、青年海外協力隊としてヨルダンで美術教育。2014年から「国境なき子どもたち」で活動)
ビサーン(シリア、ゲータ出身の11歳の女の子。シリア内戦から逃れて、母親と兄と共に、ヨルダン北部の難民キャンプへ逃れてきた。将来の夢は小児科のお医者さん)
アブドラ(クルド人少年13歳。内戦を逃れてヨルダン市内に避難している。原因不明の病に冒され、現在のところ治療の目処がたっていない)
むの たけじ(元朝日新聞記者。太平洋戦争中従軍記者として戦場に赴く。戦争に加担したことを新聞人として猛省。終戦の日に職を辞し故郷秋田県に戻り「週刊たいまつ」780号を発行)
大田 昌秀(琉球大学法文学部社会学科教授。ジャーナリズムと社会学、広報学などの研究を行い、沖縄の基地問題に関わり続けた)
【上映情報】
2020年3月7日(土)~ ポレポレ東中野2020年3月14日(土)~ 第七藝術劇場2020年3月14日(土)~ 京都シネマほか愛知、神奈川で上映中、以降全国近日公開