関東大震災の時に、多くの朝鮮人が日本人あるいは日本軍によって虐殺されたことは知っていました。しかしその関東大震災の直後、この映画の主人公、朴烈(パクヨル)と金子文子が大逆罪の罪で裁判にかけられ、その法廷で朝鮮人虐殺について朗々と語られる裁判闘争があったことは知りませんでした。
この映画を見た後、思い返してみると、自分は「関東大震災時の朝鮮人虐殺」について関心をもっていたにもかかわらず、その前後のこと、その背景、あるいは当時、日本にいた朝鮮人の人たちがどのように生き、何を思っていたかなど想像もしていなかった、知ろうともしていなかったことに気づき、驚きました。別の意味では映画にはそうしたことを考えさせる力があったということでしょう。
それは、戦前戦後一貫として日本の「侵略」の事実を知らそうとしない、隠し通そうとする権力側の意図的なコントロール、「教育」の成果によるのでしょう。それに加えて、今の私たち自身の問題意識の無さ、真摯に歴史を捉える意識、その切実さの欠如にもあるのだろうと思い至りました。
では、韓国・朝鮮の人々にとってはどうなのでしょうか。とくに今を生きる若い人たち。この映画が、日本を舞台にしながら、韓国の人の手によって韓国で作られた映画であり、韓国の多くの人(予告編では235万人)が見た映画だからこそ、彼らはどんな風にこの映画を見、朴烈や金子文子のこと、彼らがやろうとしたことをどう思ったのか聞いてみたい、話してみたいと思いました。
1923年、東京。社会主義者たちが集う有楽町のおでん屋で働く金子文子は、「犬ころ」という詩に心を奪われる。この詩を書いたのは朝鮮人アナキストの朴烈。出会ってすぐに朴烈の強靭な意志とその孤独さに共鳴した文子は、唯一無二の同志、そして恋人として共に生きる事を決めた。
ふたりの発案により日本人や在日朝鮮人による「不逞社」が結成された。
しかし同年9月1日、日本列島を襲った関東大震災により、ふたりの運命は大きなうねりに巻き込まれていく。 内務大臣・水野錬太郎を筆頭に、日本政府は、関東大震災の人々の不安を鎮めるため、朝鮮人や社会主義者らを無差別に総検束。朴烈、文子たちも検束された。
社会のどん底で生きてきたふたりは、社会を変える為、そして自分たちの誇りの為に、獄中で闘う事を決意。ふたりの闘いは韓国にも広まり、多くの支持者を得ると同時に、日本の内閣を混乱に陥れていた。そして国家を根底から揺るがす歴史的な裁判に身を投じていく事になるふたりには、過酷な運命が待ち受けていた…。(映画『金子文子と朴烈』HPより)
映画としては、とても上手に作られた映画だと思います。関東大震災時の朝鮮人虐殺がなぜ起きたのか、その原因(不逞鮮人が暴動を起こす?)がどのようにでっち上げられていったのか、それを単に日本と朝鮮の対立構図にしない工夫がなされています。
おそらく大半がフィクションの部分の関東大震災後の閣議を出すことによって日本人、それも権力者側の視点をつくり出すことができます。もと朝鮮提督府で働き、およそ三・一事件の朝鮮人虐殺にも関わったであろう内務官僚の水野錬太郎をすべての悪役の代表に配役したことで、逆に日本の政治家の中にも良識を持って悩んだ人間がいた。しかし、そうした漠然としたものに押し流されてしまったのだという線を出すことができ、「悪いのは日本だ、日本人だ」の話にしていません。
それでも思ってしまいます。では韓国の若者はどう感じるのだろうかと。それは日本人を敵視しやしないかと心配しているのではなく、歴史をどう受け止めて、感じるのだろうかと思うからです。日本人と韓国・朝鮮の人の受け止め方のどこがどう違って、どこがどう同じなのかのか、それぞれ映画を見て、感想を出し合って話してみたいと思いました。
金子文子の印象は鮮烈です。チェ・ヒソの演技というか時折見せる仕草、表情は魅力的です。奔放という言葉をいい意味で自分のものにしているように思います。朴烈と二人っきりでいる時も、獄舎にあるときも、法廷で自分の考えを述べるときも実に堂々としていてぶれない。自分をしっかり持っている人間であるということをしっかりわからせる、そんな演技です。それでいながら、その仕草、表情につい、よろっとしてしまいます。
演出と役者の解釈による演技なのでしょうが、金子文子という人のキャラクターを実に見事に作りだしています。この時代にこういう女性がいたのかという驚きに近い気持を鮮烈に印象づけます。
ここでもまた女性から見た時、男性から見た時、あるいは若い人から、年配の人から見た時にそれぞれの感じ方が違うような気がします。それはきっとそれぞれの時代をどう学び、どうイメージしてきたのか、あるいは今、何らかの問題意識を抱えているかどうかでも違ってくると思います。どれが正しいというのでなく、自分なりの感じ方があって、どこに魅力を感じるのか、感じないのかだと思います。
金子文子については1000ページに及ぶ自伝が残されているといいます。映画の中のセリフも個々での発言は実際にあったものから採られてものと思います。つまり朝鮮人虐殺の記録は隠され、金子文子のこともあまり知らされることはなかったかもしれませんが、実はたくさんの彼女の書いたもの、肉声があり,彼女が考えたことを知ることができるわけです。
その中のひとつに予審で彼女が述べた言葉「1919年には独立運動の光景を目撃して『私にすら権力への叛逆気分が起こり他人事と思えぬほどの感激が胸に湧く』、そう予審で述べたように、朝鮮人の立場をみずからの境遇と重ね、深い共感と愛情を抱いていた。」
親に捨てられ、子ども時代を最貧困の状態で日本と朝鮮を変転して過ごし、学問をめざした金子文子。彼女のあの強い意思がどのように作られていったか、この映画の中で語られる朴烈との出会いから、めくるめくるめく恋愛の中に、そして運動に突き進んだ彼女の、もとになっている意思をもう少し知りたいと思いました。それはまた別な形で映画になる、そして私たちに考えさせる映画になるのではないでしょうか。
【スタッフ】
監督:イ・ジュンイク
製作:イ・ジョンセ ショーン・キム
製作総指揮:キム・ジンソン
脚本:ファン・ソング
撮影:パク・ソンジュ
美術:イ・ジェソン
衣装:シム・ヒョンソプ
編集:キム・ジョンフン
音楽:パン・ジュンソク
【出演】
イ・ジェフン(朴烈)
チェ・ヒソ(金子文子)
キム・インウ(水野錬太郎)
キム・ジュンハン(立松懐清)
山野内扶(布施辰治)
金守珍(牧野菊之助)
趙博(内田康哉)
柴田善之(山本権兵衛)
小澤俊夫(田健治郎)
佐藤正行(平沼騏一郎)
金淳次(若槻礼次郎)
松田洋治(江木翼)
ハン・ゴンテ(栗原一男)
ユン・スル(新山初代)
原題:Anarchist from the Colony
配給:太秦
公式サイト:http://www.fumiko-yeol.com/
予告編:https://www.youtube.com/watch?time_continue=2&v=8ds6lO6GNc8
上映情報:シアター・イメージフォーラム(東京)シネマート心斎橋(大阪)京都シネマ(京都)名古屋シネマテーク(名古屋)で2月16日より上映中他全国順次公開