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憲法by中学教科書

 

第8回 欧米の進出と日本の開国


1、教科書に書いてあること

 立憲君主制を定め、議会政治の基礎がつくられたイギリスは、18世紀後半にはヨーロッパ最強の国になりましたが、北アメリカに移住した人々はイギリス本国からの増税と弾圧に抗議して、1776年に独立宣言しました。独立戦争に勝ったアメリカは民主的な合衆国憲法を定めました。
 フランスでは国王が絶対的な権力をにぎっていました(絶対王政)が、1979年、身分の特権を廃止し、自由、平等、人民主権、私有財産の不可侵などをうたう人権宣言が発表されました。その後軍人ナポレオンが権力をにぎり、ヨーロッパの大部分を征服しました。
 18世紀から19世紀にかけて、蒸気機関車の走る鉄道が広まり、技術革新による機械の発達によってイギリスは「世界の工場」とよばれるようなり、産業革命が進みました。そして、資本をもつ者が労働者をやとって生産するしくみ=資本主義が広まりました。ところが、貧富の差が広がり、労働者たちは労働組合を結成し、社会主義の考えも芽生えました。
 19世紀になるとイギリスはアジアに進出し、中国(清)にアヘンを密輸しはじめ、1840年、アヘンを取り締まった清を屈服させ(アヘン戦争)、不平等条約をおしつけました。戦費や賠償金のために農民に重税を課した清政府に対して太平天国による反乱が広がり、その清は弱体化することになりました。イギリスは1857年のインドの大反乱も鎮圧し、インドの植民地化も進めました。
 独立後に移民を大量に受け入れたアメリカ合衆国は奴隷制などをめぐる国内の対立からはじまった南北戦争(1861年)を克服し、資本主義大国として成長しました。その過程で、アメリカは日本を開港させようと江戸幕府に対する国書をペリーに託しました。1854年、幕府は日米和親条約を結び、鎖国をやめて開国を余儀なくされました。幕府はイギリス、オランダ、ロシアとも条約を結びました。1858年には日米修好通商条約も結ばれました。
 日本の開国に対して、外国人を排斥しようという攘夷(じょうい)の考え方と天皇の復権を求める考え方が重なった尊皇攘夷運動が急速に広がり、やがて薩摩藩と長州藩が同盟を結ぶ中で、1867年、徳川慶喜は政権を朝廷に返しました(大政奉還)。薩摩藩の西郷隆盛らに動かされて王政復古の大号令が朝廷から発せられ、それに反発した旧幕府軍も翌年には降伏させられることになりました(戊辰戦争)。

2、憲法の視点で理解しておきたいこと

●どのような人たちが憲法というものをつくったのか

 憲法というものがアメリカで制定され、フランスでも人権宣言というものが発表されましたが、どのような人々がそれまでのどのような支配体制を破ったのかということを考えてみましょう。また新しい社会の優れた点と不十分な点も考えてみましょう。

 

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