法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

法学館憲法研究所

Mail info@jicl.jp
 
今週の一言
憲法情報Now
 憲法をめぐる動向
 イベント情報
 憲法関連裁判情報
 シネマ・DE・憲法
 憲法関連書籍・論文
 ■今日は何の日?
憲法Voice
研究所・客員研究員紹介
中高生のための憲法教室

憲法文献データベース
日本国憲法全文
リンク集
 
事務局よりお知らせ
賛助会員案内
メールマガジン
ご意見フォーム
サイトマップ

憲法by中学教科書

 

第4回「東アジア世界とのかかわりと社会の変動」


1、教科書に書いてあること

 13世紀、チンギス・ハンがモンゴル帝国を築き、フビライ・ハンは国号を元と定め、中国全土を支配しました。元は日本にも襲来しました(元寇)。
 この頃、交通や港湾などの発達によって豊かになる武士たちが現れてきました。一方、幕府は幕府を支えていた御家人たちの生活を徳政令によって救済することも成功しませんでした。そのような中で、後醍醐天皇による倒幕は失敗しましたが、足利尊氏らによって鎌倉幕府は滅びました(1333年)。
 その後天皇中心の新たな政治が始まりましたが(建武の新政)、2年ほどで崩れ、足利尊氏が京都に建てた天皇と吉野(奈良県)にのがれた後醍醐天皇の二つの朝廷が生まれ、約60年間動乱が続くことになりました(南北朝時代)。この時期に領地内で大きな権限を持つ守護大名が生まれていきました。
 14世紀の中ごろ、中国では漢民族が明を建国し、モンゴル民族を北へ追い出しました。明は日本に対して、当時中国沿岸で海賊行為をはたらいていた倭寇の取りしまりを求め、勘合という証明書にもとづく日明貿易(勘合貿易)が始まりました。日本はこの頃朝鮮半島で建てられた朝鮮国との貿易も始めました。
 15世紀には琉球王国が建てられ、日本や中国、朝鮮、東南アジアとの中継貿易で栄えました。なお、蝦夷地(北海道)ではアイヌ民族が暮らしていました。
 足利尊氏が開いた室町幕府の時期は、中国・朝鮮との貿易などによって産業が発達しました。商人や手工業者は、裕福な商工業者=町衆を中心に、同業者ごとに座と呼ばれる団体をつくって、営業を独占する権利が認められました。また、各地の都市には自治組織がつくられ、町の政治が行われるようになりました。農村では惣(そう)と呼ばれる自治的な組織がつくられるようになり、年貢の軽減を要求する土一揆も起こるようになりました。
 そのような中で、守護大名間が争い、1467年に応仁の乱が始まりました。戦乱は全国に広まり、下克上の風潮が広がり、各地に戦国大名が登場するようになりました。戦国大名は城下町をつくり、独自の分国法を定めて人々を支配しました。
 室町時代には、金閣・銀閣が建てられ、公家の文化と武家の文化の融合がはかられました。寺院の様式が武家の住居に取り入れられた書院造もこの頃に生まれました。また、観阿弥・世阿弥親子の能が武家社会で愛好され、水墨画も流行しました。民衆の文化としては狂言が生まれ、お伽草子と呼ばれる絵入りの物語ができたのもこの頃でした。

2、憲法の視点で理解しておきたいこと

●団体をつくり、その要求を実現していくということ

当初朝廷に支配されていた人々は、やがて力をつけていった武士によって支配されるようになりましたが、室町時代には商人や手工業者、あるいは農民が団体をつくり、自治権を獲得していくようになりました。団体をつくり、その要求を実現していくということは今日の社会にも通じることであり、今日の憲法の規定とその考え方を理解する上でも重要なことです。様々な紆余曲折はありますが、今日の社会に至るまでの社会のしくみと諸階層の関係の大きな推移を理解しておきましょう。

 

[今週の一言][憲法情報Now][中高生のための憲法教室][憲法文献データベース][事務局からのお知らせ]
[トップページ]