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憲法by中学教科書

 

第3回「武士の台頭と鎌倉幕府」


1、教科書に書いてあること

 平安時代の中ごろから有力な農民が領地を広げ、豪族となり、武士として勢力を拡大していきました。11世紀から12世紀にかけて、その中で天皇の子孫とされる源氏と平氏の力が強まりました。
 白河天皇は上皇になっても摂関家をおさえて政治を行い(院政)、その実権争い(保元の乱・平治の乱)の中で平清盛が源氏を破り勢力を広げました。
 平清盛は太政大臣になって栄華をほこりましたが、源頼朝が関東を支配下に入れ、平氏を滅ぼし、鎌倉幕府を開き、武家政治がはじまりました。頼朝は国ごとに守護を、荘園や公領ごとに地頭を置くことを朝廷に認めさせ、征夷大将軍に任命されました。
 頼朝の死後に実権を握った北条時政は執権となり、朝廷の勢力回復をめざした後鳥羽上皇を破り(1221年、承久の乱)、幕府の支配力がいちだんと強まりました。
 以降、武士が地頭になって土地や農民を支配することが広がり、地頭と領主の間にしばしば争いが起こりました。それを裁く基準として御成敗式目(貞永式目)が定められました。このころは農業に牛馬が利用され、鉄製の農具が普及し、農業生産が高まり、手工業や商業もおこなわれるようになりました。
 武士や民衆の力がつく中で、新しい仏教として、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、日蓮の日蓮宗、栄西や道元による禅宗などが生まれました。
 武士が台頭する中で「平家物語」がつくられました。運慶らによる金剛力士像ができたのもこの頃です。一方、貴族も朝廷の文化を見直し、この頃に「新古今和歌集」がつくられました。

2、憲法の視点で理解しておきたいこと

●支配者層の変遷を学ぶ

 大和政権から平安時代まで、人々は天皇を中心とする朝廷によって支配されていましたが、鎌倉時代は武士による幕府が社会を支配することになっていきました。明治時代以降は天皇中心の社会、アジア太平洋戦争以降は国民主権の社会になりますが、その前の時代はどのような人々が支配者だったのか、その変遷を理解しておきましょう。

●争いを裁く基準が定められる背景を学ぶ

 鎌倉幕府ができ、朝廷をおさえるようになっていったのは、武士による土地の私有と農民の支配が広がった結果でした。その過程での地頭と領主の間の争いを裁く基準として御成敗式目(貞永式目)が定められました。争いを裁く基準は誰と誰がどのような争いをしているかをふまえて内容が決まっていきます。こんにちの法、憲法がつくられる以前の歴史をとして理解しておきたいものです。

 

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