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憲法by中学教科書

 

第2回「古代国家の歩みと東アジア世界」


1、教科書に書いてあること

 中国では6世紀末に隋という強大な帝国ができ、つづいて7世紀に唐が中国を統一しました。当時、朝鮮半島では百済や新羅が勢力を強め、大和政権は朝鮮半島での勢力を失いました。
 その頃国内では聖徳太子が摂政となり、十七条憲法を定めて天皇を中心とする政治制度を整えようとしました。また、中国の制度や文化を取り入れようと遣隋使を派遣したりしました。645年、聖徳太子の政治改革の後に独裁的な政治をしていた蘇我氏を中大兄皇子らがたおし(大化の改新)、権力の集中をめざしました。その後壬申の乱に勝った天武天皇が天皇の地位を高めていきました。そのような中で、大宝律令がつくられ、律令国家の都として平城京がつくられ(710年)、奈良時代がはじまりました。人々には調や庸といった税や兵役の義務が課せられました。人々にあたえられた口分田は、当初はその人の死後は国に返すことになっていました(班田収授法)が、やがて懇田永年私財法ができ、土地の私有が広がることになりました。なお、律令にもとづいてつくられた戸籍で、人々は良民と賤民(奴婢など)に区別されました。
 794年、桓武天皇は都を京都に移し(平安京)、平安時代がはじまりました。この時期は藤原氏が摂政や関白になって政治の実権をにぎり(摂関政治)、藤原氏は多くの荘園(=私有地)を持つようになりました。
 聖徳太子や曽我氏は仏教を広め飛鳥文化が栄えました(法隆寺など)。奈良時代には遣唐使がたびたび派遣され、仏教と唐の文化の影響を強く受けた天平文化が栄えました(東大寺など)。「古事記」や「日本書紀」、「万葉集」がつくられたのもこの頃でした。
平安時代になると仏教の新しい宗派である天台宗や真言宗が広がりました。その後、浄土信仰も広がりました。この時期にはかな文字ができ、「古今和歌集」や「源氏物語」、「枕草子」など日本独自の文化が栄えました(国風文化)。

2、憲法の視点で理解しておきたいこと

●様々な階層の人々の関係が歴史的に変化してきた

 中国でも日本でも、社会のしくみというものは、有力者が人々に土地を与え、そして人々に税や兵役の義務を課し、律令という法律にもとづいて整えられることになりました。やがて、地方の有力者たちが私有地をもつようになり、社会のしくみと様々な階層の人々の関係が変化していくことになります。こんにちの社会がつくりあげられる前の時代の社会のしくみと諸階層の関係、その移り変わりを理解しておきましょう。

●身分の違いは、なぜ、どのように生まれてきたか

 社会のしくみの「整備」の中で人々の身分の違いというものも築かれてきました。こんにちの日本国憲法では基本的に身分差別は禁止されていますが、身分差別の歴史も理解しておきたいことです。


 

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