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第29回<被害者の人権と被告人の人権>


皆さんは殺人事件の被害者の遺族の気持ちになってみたことがありますか。私はいつも、憲法を理解するには想像力が必要だと言っています。もし、自分の最愛の人を無惨に殺されたら、自分の手で復讐してやりたい、それができないなら、一日でも早い死刑によって自分の復讐心を満たしたいと思うでしょう。ですが、もう一人の自分がそれは違うとも言ってきます。どう考えたらいいのでしょう。
まず私たちは、刑事裁判という公的な制度の問題と、復讐心という個人的な問題をしっかり区別しなければなりません。
そもそも刑事裁判とは何のためにあるのでしょうか。それは、けっして被害者の復讐を国が代わって行うためにあるのではありません。刑法の目的も、被害者の復讐心を満足させるところにあるのではなく、人の命や財産という法的に保護されるべき利益を守り、犯罪を防止するところにあります。まず、ここが出発点です。
刑事裁判は、あくまでもルールに基づいて真実を明らかにし、国家が刑罰を科すことができるかを判断していく手続きです。そこでは、法に基づく客観性や公正さが要求されます。この裁判手続きを通じて、傷ついた社会の秩序を回復しようとするのです。
ちょっと冷たく聞こえるかもしれませんが、はっきり言えば、刑事裁判は被害者のためにあるのではありません。秩序の回復や犯罪防止といった公共的な役割を果たすためにあるのです。これが近代文明国家の刑事司法制度の本質です。
では、被害者や遺族の無念さや復讐心はどうしたらいいのでしょうか。
この被害者の苦難を、被害者だけに負担させるのは公平ではありません。以前は個人的な不幸の問題として片づけられ、社会の同情やまわりの人たちの自発的な援助によって、被害者は自分たちの力で乗り越えてきました。しかし、犯罪の被害に遭ってしまうという危険は、今日の社会において、誰もがさらされているもので、けっして人ごとではありません。社会の歪みが犯罪の遠因になっていることもあります。犯罪被害をこれまでのように単なる個人的な不幸の問題として片づけてしまうことは間違っているのです。
そうではなく、社会全体の問題としてみんなで等しく引き受けて、国民全体で何らかの負担をしていくべき問題となってきているのです。金銭的な問題も国民全員が税金の形でなんらかの負担をすべきですし、精神的なサポートも受けられるように立法や行政が十分に配慮すべき問題です。
憲法は被害者の人権を保障していないという人がいますが、間違いです。それは憲法でしっかりと保障されています。プライバシー権は13条で、知る権利は21条で、生活の権利は25条で保障されているのです。あとはそれを具体化し、実現する政治の問題です。つまり、福祉政策の問題として国会や行政によってきちんと解決されなけれぱならないのです。
この被害者へのケアが不十分だと、被害者も刑事裁判という公的な場面に怒りを訴えていくしかなくなってしまいます。これはとても不幸なことです。そもそも制度の目的が違うわけですから、司法の場だけで被害者や遺族の方の気持ちが慰謝されることはないからです。
そして被害者の人権をしっかりと政治部門が保障し、実現することと、被告人の人権を守るということはまったく別の問題です。被害者の人権と被告人の人権が衝突するように見えても、この二つはまったく次元の違う話であり、そもそも対立するものではありません。ですから、被害者が迅速な裁判を望んだからといって、適正な手続きを踏まない迅速すぎる裁判などは許されません。被害者の人権を保障することが、一被告人の人権を制限する理由になってはならないのです。
そして司法のシステムがうまく機能するためには、検察官、弁護士、裁判官がそれぞれの役割を果たすことが必要です。検察官が処罰を求め、弁護士が被告人の利益を守り、裁判官が中立的な立場から判断する。こうした役割分担が行われて、はじめて司法制度は機能するのです。
最近は、裁判官が検察官と同じ立場で審理を急がせたりしています。また、有罪にすることに協力的でないということで、弁護士がマスコミからバッシングされたりしています。これでは、法律家全員が検察官になってしまいます。
車にも、アクセルもあればブレーキも必要、もちろんハンドルも必要です。三つそろってはじめて安全運転ができるわけですから、みんながアクセル、つまり検察官になってはいけません。それはとても危険なことです。プレーキとしての弁護士や、ハンドルとしての裁判官が、きちんとした役割を果たすことが重要なのです。
私たち国民も、みんなが犯人を処罰する検察官になってしまってはいけません。むしろ一歩離れて、こうしたシステム全体がうまく働いているかどうかをしっかりと監視していくことが必要なのです。それこそが主権者たる国民の役割です。
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