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第25回<黙秘権は何のために?>


逮捕された人が取調べを受けても黙っていることがあります。真相究明しようとしているときに黙っているなんて、とんでもないヤツだと思いませんか。今回は刑事手続きについて考えてみましょう。
まず、犯人なら反省してきちんと話すべきだ、黙っているのはおかしいという声があります。ですが、「犯人として知っていることをきちんと話せ」というのは、その前提に間違いがあります。被疑者・被告人は、罪を犯したかどうかわからないから裁判を受けています(起訴される前を被疑者、起訴された後は被告人と呼ばれます)。判決がでるまでは真犯人かどうかわからないのです。もし、逮捕された時点で真犯人だとわかっているなら、そもそも裁判はいりません。ですから、「知っているはずだから、拷問してでも自白させろ」というのはまちがっています。
テレビドラマの世界でははじめから犯人が決まっていますから、テロリストを拷問してもいいように思うかもしれません。しかし、現実の世界では無実かもしれないのです。拷問はどのような理由があっても許されません(憲法36条)。
憲法は38条1項で「黙秘権」を保障しています。なぜ、黙秘権が保障されるのでしょうか。それは、そもそも人間の内面に、国家権力が入り込んで強制的に調べることが許されないからです。自分の知っていることを話すかどうかは本人が決めるべきことであり、強制されるべきことではありません。個人の尊重にもとづく幸福追求権から自己決定権が導かれますが、その延長線上に黙秘権が位置づけられます。
ただ、こう考えても、自分に不利にならないことを話す義務くらい負わせてもよさそうです。しかし、もし不利なことしか黙っていることはできないとしてしまうと、黙っているのは自分に不利だから、つまり犯人だからだと推測されてしまいます。そこで、不利なことも有利なことも、一切黙っていることができるとしたのです。
ですが、真犯人でないのなら、きちんと弁解するべきだと思う人もいるのではないでしょうか。しかし、これではうまく弁解できない人が有罪になってしまいます。つまり「疑わしきは罰する」ということになってしまうのです。「罪を犯したかもしれない人」をすべて処罰することで、社会の治安は維持できるかもしれませんが、それでは無実の人が処罰されることになってしまいます。つまり、社会の治安のために無実の個人が犠牲になるということです。
これでは憲法が一番大切にしている「個人の尊重」(憲法13条)に反してしまいます。憲法は社会や国のために個人が犠牲になることを認めません。あくまでも個人のために国があるのであって、けっして国のために個人があるわけではないのです。そこで、犯人かどうか疑わしいときには、無罪とすることになっています。これを「無罪の推定」といいます。みなさんも、たとえばアリバイを証明できなければ有罪とされてしまうとしたらどうでしょう。昨日の夜2時のアリバイを証明してくれる人はいますか。いくら自分の部屋で寝ていたといっても、家の人がみんな寝てしまっていて、それを証明できないとしたらどうでしょうか。それで有罪とされたらたまらないでしょう。
このことを「適正手続の保障」という人権として保障しました(憲法31条)。黙秘権を人権として保障し、有罪の証明は国の側にさせることによって、警察や裁判所という国家権力によるあやまちを最小限にくい止めようとしているのです。
警察や裁判所は社会の秩序を維持し、正義を実現するために重要な役割を果たしています。しかし、同時におそろしい権力としての側面もあわせ持っているのです。この二面性を忘れてはなりません。テレビ映画では、警察やテロ対策の組織などは正義の味方として描かれていますが、それはあくまでもつくり話の世界であって、現実は権力による人権侵害も、テロと同じくらいに恐ろしいものだという認識をもたなければなりません。「横浜事件」のような、特高警察による拷問と不正な裁判を経験した日本ではなおさらです(「横浜事件」はアジア・太平洋戦争中に起きた言論・思想弾圧事件。でっち上げによる逮捕と拷問によって多くの犠牲者を出した)。
こうした過去の苦い経験にもとづいて、現在の憲法は被疑者・被告人の人権保障を充実させました(31条から39条)。警察や裁判所という権力の暴走とあやまちは取り返しがつきません。だからこそ、私たちはこうした権力に対しても、しっかりと監視の眼を光らせておかなければならないのです。
裁判所を常に正義の味方と考えてしまい、判決を無批判に受け入れるだけでは、真の民主主義国家とはいえません。国民による不断の監視の眼があるからこそ、警察や裁判所という権力は適正手続をたもち、その判断が正当性をもつことができるのです。ここでも私たち国民が、しっかりと主体的に裁判と向き合わなければならないのです。
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