法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

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第18回<教科書を選ぶとはどういうことか>


前回は、「教科書検定でその内容を審査することを許すべきではない」という話をしました。とすると、過去の事実を否定するような記述をしているものも、教科書として出回ってしまってよいのでしょうか。
たとえば、従軍慰安婦制度(国連の人権委員会では「日本軍性奴隷制度」と呼ばれています)や旧日本軍によるアジアの人々に対する虐殺行為などをしっかりととり上げず、むしろ日本のおこなった戦争を美化するような記述の教科書が使われることになってしまってもいいのか、という疑問が生じます。
こうした教科書が出回ることを防ぐには、国がしっかりと内容を審査して、不許可にすればいいのでしょうか。
この問題は、結局は、「誰がどのように教科書の内容を検討し選択するのか」という問題に帰着します。
私は前回お話したように、少なくとも国が統一的にその内容を審査するという方法は、憲法に違反すると思っています。著者の歴史観や教育観それ自体を問題にして、文部科学大臣が事前に審査すること自体が、憲法の保障する「表現の自由」に対する重大な侵害になると考えています。
もし誤った歴史観の教科書が出回ることがあるとしたら、それを許す国民や政治風土の問題です。ドイツのように歴史から目をそむけることなく、歴史的事実を忘れない努力を国をあげておこなうという断固とした態度が国民と政府にあれば、そうした教科書が使われることもなくなるはずです。
国に教科書の内容をチェックしてもらえば、不適切な教科書を事前に排除できて簡単だと考える人もいるかもしれません。ですが、そのように考えることは、自分の自由を犠牲にして手軽さを選択することになります。安易にそちらの方向に流れると、結局は多くのものを失うことになります。
「表現の自由」という人権は、「あなたのいうことにはまったく賛成できないが、あなたがそのようにいう権利があることは私は命をかけても守る」というヴォルテール(一八世紀、フランスの思想家・文学者)の言葉にその本質があらわれています。つまり、ちがう考えの人の意見も忍耐強くきいて、議論を重ねていこうとするところにその意味があるのです。
自由に生きるということは、私たちがすべてを国にまかせてしまうのではなく、「自分たちでできることは自分たちでする」ということです。「自由」は単なる人まかせによって得られるものではなく、一定の責任をともなうものなのです。
どのような教育がいいのか、教師に何を期待するのか、家庭では何を教えるのかなどを私たち自身が考え、それぞれの役割を果たすことが必要となります。
教育内容も国に決めてもらってそれにしたがうのではなく、みずからの問題として考え、行動することが求められています。それこそが、「一人ひとりの国民が主人公である」という民主主義そのものです。そのためには、現場での選定方法が民主的であることは不可欠です。親も意見をいうことができ、またそれを使って教える教師がみずから教科書を選ぶことができるようにするべきです。
私たちが歴史の教科書を選ぶ際に、忘れてはならないことがあります。それは「歴史的事実は放置しておけば時間とともに風化し、なかったことになってしまう」ということです。
過去の事実はすべて、ある意味では評価をともなって記述されます。ですから、その評価がわかれることは仕方がないことかもしれません。ですが、事実そのものを記載しなければ、過去から学べるはずの教訓を、私たちは次の世代に引き継ぐことができなくなります。南京大虐殺、従軍慰安婦制度、平頂山事件、七三一部隊、強制労働、遺棄毒ガス事件など、旧日本軍による多くの残虐行為とその被害者の方々の苦しみは、記述しなければなかったことになってしまいます。
もちろん、そうした事実を世代を越えて語り続けることは、けっして日本をおとしめることにはなりません。過去のあやまちをごまかすのではなく、反省し、よりよく生きることができるように努力することは、人間の勇気ある正しい生き方です。
戦争で失われた被害者の方々の命は、二度と同じあやまちをしない教訓として生かされてこそ、その価値を増します。過去から学び、次の世代に事実を伝えることは、いまを生きている人間の責任です。未来永劫忘れない、語り続けるとの決意をあらわすことで、北東アジアにおける安全保障の基礎となる、隣国の信頼を勝ちとることができるのです。
「現場の教師や親たちでは適切な判断ができないから、国がかわりに教育内容も決めてあげましょう」といわれないように、国民一人ひとりが主体性をもって判断し、子どもを育てていこうとする姿勢が不可欠です。
教育内容の決定権の問題も、結局は、私たちが民主主義を実践できるかの問題なのです。
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