法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

法学館憲法研究所

Mail info@jicl.jp
 
今週の一言
憲法情報Now
 憲法をめぐる動向
 イベント情報
 憲法関連裁判情報
 シネマ・DE・憲法
 憲法関連書籍・論文
 ■今日は何の日?
憲法Voice
研究所・客員研究員紹介
中高生のための憲法教室

憲法文献データベース
日本国憲法全文
リンク集
 
事務局よりお知らせ
賛助会員案内
メールマガジン
ご意見フォーム
サイトマップ

中高生のための憲法教室

 

第17回<「教科書検定」を憲法からみると>


最近、中国や韓国どの関係が少しぎくしゃくしています。小泉首相の靖国参拝のみならず、「教科書問題」もその原因にあげられます。そこで今回は、「表現の自由」との関係で、「教科書検定制度」について考えてみたいと思います。
日本では、小中高の学校の教科書は、文部科学大臣の検定に合格しなければ教科書として出版できないことになっています。これが「教科書検定制度」です。この制度が、教科書を執筆したり出版したりする「表現の自由」(憲法二一条一項)を不当に侵害し、憲法が禁止する「検閲」(二一条二項)にあたるのではないかが問題となります。
そもそも「表現の自由」が人権として保障されているのはなぜでしょうか。私たちは自分の言いたいことを言いたい、書きたいことを書いて誰かに読んでもらいたい、好きな曲をつくって発表したいというように、自分の内面を表現したいという欲求があります。
何を考え、何を発言し、どのような行動をとるのかに、「その人らしさ」が現れます。人は誰でもかけがえのない価値を持っていて、それは「その人らしさ」という人格的な価値として尊重されるべきものなのです。そしてその人格は表現行為によって刺激を受け、さらに発展させることができます。
音楽やダンスも、絵やアニメ、コントや漫才も、作品を人にみてもらい、批評されてよりよくなります。いろいろな事柄に対する意見も同様です。私たちは自分の思いを外に表現することによって、自分自身の内面を発展させ、より自分らしく生きることができるのです。
さらに私たちは、おたがいにいろいろな意見を主張しあい、議論することで、よりよい考え方をみつけることができます。みんなで議論し、相談していくうちによい考え方にまとまっていったということは、みなさんにも経験があると思います。どのような意見であっても、まずは発表してみなければ、そのよしあしはわかりません。ですから、まずは発表してみることが大切です。
「おまえの言うことは価値がないから、何もしゃべるな」と言われたらどうですか。くやしいし、本当はすごくよいことを言おうとしていたのなら、みんなにとっても残念なことです。ですから、誰かが前もって、「おまえの意見は発表させない」と決めつけることは許されないのです。
たとえば、安くて品質のよい商品なら、だまっていても市場で生き残っていくはずです。それと同じように、「よい意見と悪い意見とをみんなの前でたたかわせたら、きっとよい意見が残るであろう」ということから、まずは表現してみることが大切なのです。このような考え方を、「思想・言論の自由市場」といいます。
憲法は、「表現の自由」を人権として保障するだけでなく、この「思想・言論の自由市場」の発想から、検閲を禁止しました。「検閲」とは、政府など行政権が、私たちの表現行為について事前にその内容をチェックして、不適当と認めるときにはその発表を禁止することを言います。
国民の思想や表現について、国がその「正しさ」をあらかじめ判断することはそもそも許されません。思想や表現のよしあしは、国民がそれにふれて、自分たちで決めるべきことなのです。思想や価値観のような私たち人間の内面に関して、国家は干渉するべきではありません。
さて、このように考えてくると、「教科書検定」という制度はどうでしょうか。歴史の教科書などでは、その著者の歴史観や教育観がそのまま現れます。文部科学大臣がそのよしあしを問題にして一定の判断をくだすことは、その記述が正しいかどうかにかかわりなく、憲法上許されないはずです。
この問題についての裁判所の判例は、教科書検定が「思想内容等を審査するものである」と認めながらも、「たとえ検定に不合格になっても一般図書として出版することができるのであるから、発表の禁止を目的とするものではなく、検閲にあたらない」としています。
みなさんはどう思いますか。こんなことを言ってしまったら、教科書として出版しようとする著者の「表現の自由」を実質的に奪ってしまうことになります。そもそも、「検閲の禁止」は、「国が国民の思想内容に介入してはならない」という点にその本質がありました。「一般図書として発表できる」ということは、その本質を傷つけることを正当化する理由にはなりません。
たとえ、検定の場で国が何も言わなくても、検定制度があること自体によって、「何か言われるといやだな」と躊躇して書きたくても書けないということもあるのです。こうした萎縮的効果を含めて、教科書検定制度の存在自体が、「表現の自由」に対する重大な侵害となっているのです。
ちなみに、こうした教科書に対する国の検定制度を採用しているのは、サミット参加国のなかでは日本だけだそうです。
<<(16)へ

[今週の一言][憲法情報Now][中高生のための憲法教室][憲法文献データベース][事務局からのお知らせ]
[トップページ]