法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

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第7回<オリンピックは誰のため?>


 アテネオリンピックでの超一流の選手の活躍には目を見はるものがありました。私たちに多くの夢と勇気を与えてくれました。オリンピックに限らず、人がその持てる力を最大限に生かそうと懸命に努力する姿は、人の心を打ちます。

 ですが、どうしてもオリンピックといとうと、各国がどれだけメダルを獲ったかを競い合うような、「国家対抗」のイメージがつきまといます。

 確かに東西の冷戦時代においては、旧社会主義陣営の国々はまさに国家の威信をかけてアスリートを養成し、彼らは国家の名誉にかけてメダルを獲ることを課せられていたように思われます。ですが最近では、国家対抗という意識があまり強くなくなっているように感じます。

 サッカーでも野球でもバスケットでも、プロの世界では一流選手は国境を越えて活躍しています。オリンピックだけが国にこだわるのもおかしな話です。日本でも少し前までは、日本代表選手の皆さんは「日の丸を背負って頑張る」という意識が強かったように思われますが、今は、「自分の夢を実現する」という意識が強く感じられます。

 国のためというよりもよい意味で自分のため、自分を応援してくれた仲間のために頑張るという意識です。一人ひとりが自分の限界に挑戦して、夢を実現し、その真摯な姿に観客は心を打たれます。国のために「私」を犠牲にして頑張るというのではなく、自分が好きだから挑戦し、自分の夢だからメダルをねらうというスタンスです。あくまでも個人が主役であり、国は単にサポーターに過ぎないという発想こそが、憲法の「個人の尊重」にかなった考えです。

 スポーツは政治や国家を越えるものだとよく言われます。その意味も、究極的には一人ひとりの人問のうちに秘める能カの問題だから、国や政治は関係ないということだと思います。ですが、ときに権力者はこうした個人の問題を国の問題にすり替えて、人民を支配する道具に利用します。

 スポーツという個人の問題を国家の威信の問題として、国をまとめるための道具に使ったのがヒトラーです。ベルリンオリンピック(1936年)はまさにナチスドイツの威光を世界に示すためのものでした。

 そして、本来、個人の問題であるのにそれを国家に利用される危険があるという点では宗教も同様です。宗教は本来、純粋に個人の内面の問題であり、国が干渉すべきことがらではありません。しかし、ときに権力者は支配の道具として宗教を利用し、国民をコントロールしようとします。

 日本でも戦前は、政府が古くからあった神道と国家を結びつけ、天皇を中心とした統治機構のしくみの一部として宗教を利用してきました。とくに「人の生き死に」が問題となる戦争においては、戦死に意味を与え、死を怖れない兵士を養成し、国民を支配するうえで宗教は絶大な効果を発揮します。
 しかし、このように国家が宗教を政治に利用しようとすると、いろいろと困った問題が起こります。本来、政治は人々の理性に基づいた議論によって進められなければならないにもかかわらず、宗教が持ち出されると議論の余地がなくなってしまいます。これでは民主主義は成り立ちません。

 また、宗教自身も政府に保護されることで、本来の教義とは離れて堕落していく危険があります。そしてなによりも、国家が特定の宗教を援助し利用すると、それ以外の宗教を信仰している人や、信仰をもたない人が、弾圧されたり、不利益を受けたりする危険があります。

 そこで憲法は、「政教分離」という考え方を採用し、政治と宗教を分離しなければならないと規定しました。

 まず20条1項後段で、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と規定し、宗教団体の方から政治に介入することを禁止します。そして3項では、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定し、国家が宗教的活動をして宗教に関わることを禁じます。

 さらに89条では、「公金その他の公の財産は、宗教上のも組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、……これを支出し、又はその利用に供してはならない」として財政面での宗教との関わりも禁じて、徹底した政教分離の原則を貫いているのです。

 こうして「政教分離」や「信教の自由」という話をすると、自分には関係ないと思う人もいるかもしれません。ですが、仮に多くの国民にとってはあまり気にならないことであっても、それをいやだと思う人がいる限り、その人にとっての理不尽を国家は押しつけることはできません。

 そもそも国家は、人問の精神活動などの内面に関わるべきではありません。その領域は各人の自由にまかせるべき部分だからです。自由な精神活動が保障されることが人間の幸せにつながると、憲法は考えているのです。

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