法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です
  ケンポーとはじめて向き合った日   2018年9月3日  
  山田ノブオさん(イラストレーター、音作家)  
 

 フイに今回の企画の話が僕の所にやって来ました...。時は夏の宴、すでにお酒も少し入っています。「日本国憲法」...元々このような堅苦しいものを非常に苦手としてきた僕にとって、しかもホロ酔いのひとときに於いて、提示された「憲法や社会と自分を考える」事はなかなかのミッションでし...。そもそも、そのような性格故に、(多く見聞きしている9条以外は)実はこの国の憲法というものに実は今までまともに(その文体そのものに)向き合う事がありませんでした。宴が終わり、その後入ったラーメン屋で、僕は家族とほとんど会話せずひとりスマホで憲法の全文に向き合います。

 向き合ってみた最初の大まかな印象は、意外にも「国民」というワードの多さでした。その意外さと国民というワード...つまり、これは国主体ではなく、国民一人一人が個人として幸せになるべく自由が尊重されているニュアンスがあり、読んでいくと(上からあーしろ、こーしろ、と言われるのでなく)国民一人一人がその権利の下に自覚して生きて行こう...とでも言っているような、国に従うのでなく、一人の尊重された自立の国民が主体で、国とはその集まりである...そのような感触を持っていました。かといってこの憲法は生きる指針として手を差し伸ばしはするけれど、起き上がるのは自分で立とう...とでも言っているような、ほのかな勇気も沸き起こされます。


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山田ノブオ作

 戦争はやらない/差別はしない/思想・宗教・学問の自由/等々...全ては人と社会で作る国の健全な約束事。しかし、現在は行政のトップからしてその約束事をゆがめた振る舞いが横行しています。人というのは権力を手に入れてしまうと分かりやすい程に私利私欲に埋没してしまうのでしょう。今のこの国の裸の王様は、子どもでも分かる見え透いたウソを塗り固めてまで権力にしがみついています。憲法という人格は、凛として厳しく優しく揺るぎなくそびえ立っている感じがします。大分遅ればせながら向き合った憲法に、この国にたまたま生まれた人間としての自覚を再確認させてくれました。

 60年安保の頃、今の裸の王様の祖父にあたる、岸首相の官邸に市民デモが押し掛け、警察官とデモ市民が官邸の鉄門を挟んで対面している写真が当時の週刊誌の見開きになりました...。ボロの背広に手ぬぐいを頭の後ろでしばり、鉄門に首を突っ込んで「首相に合わせろ」と問答するその男は、僕が生まれる数年前の父の姿です。普段はボンクラ風に生きている僕であってもこのグラビアは(息子として/DNAとして)見る度に魂の根っこが震えます。当時の時代のうねりが、父を学びの為の哲学青年から「行動する哲学青年」へ動かしました。憲法は高い所で凛として厳しく優しく揺るぎなくそびえ立っている(だけの)存在です。憲法が何かを実行してくれるワケではありません。実際に動く(動かす)のは国民一人一人の自覚と意識...憲法というのは自分たちが暮らしている国の輪郭って感じます。輪郭は一度確認しておいた方がピントが合う事が分かりました。

 ...それにしても人間の社会は「こうしましょう/ああしましょう/これしちゃダメ/あれしちゃダメ」という決まり事がないと成り立たないようです。僕が近年リスペクトしている「虫と植物との共生関係」では、人間が誕生する遥か昔から決まり事を作らなくても自然界の調和と秩序が(進化しながら)成り立っています。自然の中に生き物の本質があります。

 

山田ノブオ(やまだ のぶお)さんのプロフィール

イラストレーター/音作家(ガラクタ実験音楽)。
ビートルズがデビューし、マリリンモンローが死んだ年に生まれる。
現在の趣味:庭いじり
人生のモットー:「思考は重く、精神は軽く」「タフに生きる/ラフに生きる」
人生の中で最も共感した言葉(誰かは不明):「結論などありはしませんよ。眺めるものをとりとめもなく嘆くだけでこの世は時間切れです。」

当サイトに収載しているアート関連情報(1)(2)   CDブックス『ドレミファ憲法』